問題修正とバックアップ

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ちょうど世間はワールドカップ開催国のブラジルがドイツに大敗しちゃった数時間後でもあります。

この結果は私には全く当たり前、としか言いようがない結末です。
数年前、1978年のアルゼンチン以来、ブラジルでの大会をと南アメリカの総意としてブラジルへの誘致を望んだはずだったのに、どうでしょう。

始まる直前になって「ワールドカップなんてやってる場合じゃない!」と国民は騒ぎだし、競技場は途中までしかできてないし、ペレは渋滞のせいで遅刻するし、6割以上の人が「興味ない」とかいっちゃう訳です。

そりゃぁ、ネイマールも怪我するし、7点も取られちゃいますよ。

開催国なのに、圧倒的に応援するパワーよりも負のパワーの方が大きかったっていうことなんだろうと思います。
サッカーって他のスポーツよりも不思議と「場」の雰囲気の勝ち負けを重視する気がしているのですが、点を入れるタイミングが少ないスポーツだからこそ、「アウェイ」とか「ホーム」の場が支配するものが多いのだろうとも思います。

こんな風に開催国がしらけちゃうなら「ホーム」の意味ってなんなんだろうって思っちゃいますが。苦笑

さて、ここからが今日のタイトルのお話です。

データベースにつながらなくって、ずっとわけのわからないエラーと数時間格闘していました。
訳のわからないものをずーっと調べながらやっているのは本当に苦行としか言いようもないものです。専門家じゃないのですから、「何がどうなってるのか」すらぼんやりとしか理解していないのですもの。
それを使いこなしている体ができるのはインターネットのおかげなんですけれどね。もちろんプロじゃないのでたいしたこともできないのですけれど。

それでも、エラーが起こるたびに「バックアップ」の重要性を思います。
一瞬で消えたサイトが復活するのは「バックアップ」のおかげですし、使えなくなった機能が元に戻るのも「バックアップ」があるからなんですよね。これで何度となく冷や汗が止まった経験があります。

人間だってそうなんだろうなぁって思います。近頃。
バックアップ先が家族なのか恋人なのか、神様なのかそれは人それぞれで違うのかもしれません。
それでも、「もともとのその人が記憶している自分」みたいなものを自分の中にもう一度引き込んでみるということ、もちろん自分をよく理解してくれていて、自分も安心して自分をだせる相手なのだろうと思いますが。

そういうことがあれば、とっ散らかった自分や、行き先に迷う自分が何をしていいかわからないときに「私ってそうだったよね」って言うことを思い出させてくれるんだろうと思います。

「あなたってこうなんだから」って言ってくれるのと同時にきっとその人は「だから大丈夫よ」っていうことを言ってくれると思うんです。そういう安心感っていうのかなぁ。どんな荒波のような苦労を日々受けていても、自分のありのままを知っている人がいるだけでずいぶんと楽になると言うか、原点に戻れるはずです。

そういう相手と密にコミュニケーションをしておくことは、「自分のバックアップ」に他ならないんじゃないかなぁと思う訳です。

いくら相手が自分を知っていてもそのバックアップが古いと、いろいろずれるから。これも、アップデートの一環で、古いデータベースなんてもはや「自分」ですらないのだから。

そういう作業を続けて行くことが、結局ぶれない自分を作って行くことに他ならないんじゃないかなぁって思ったりしています。

日記なんかもオールドファッションだけれど確実な自分のデータベースだなと毎日つけながら思っています。

パンドラの箱

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一人で生きる、と決めた時、「迷惑かけない人になろう」と思った。

いつでもニコニコ笑っていて、みんなと程よく仲良くて。

人や仕事であんまり辛くならない距離に自分を置いて、何でも「そうかそうか」と受け入れられて、日々に感謝してひっそりと生きようって。

でも人間って言うのは所々でしょっちゅうぼろが出る。

そのぼろが出るたびに落ち込むのもイヤだから、そんな風にぼろが出ないようにそのときにずいぶん反省してどうやってそれを防げばいい?とか対策練って。

「嫌い」とか「イヤ」という気持ちを違う側面から理解して、ぐぐぐっと仏教の教えと連動させてみたりしてね。

今までもそうだったんだけれど、一人で生きるんだから、という決意がさらに一層、わたしの周りを漆喰で塗り固めていった。

漆喰で自分を塗り固めて自分を装うのは今に始まったことではなく、考えてみればずーっと幼い頃からそうやって「ありうべき姿」だとかいろんなものを装うようにどんどんと塗り固めて行っていたんだろうと思う。

物心ついた頃にはもう、厚化粧だったのかもしれない。
すっぴんである素の自分なんて、自分だって知らないぐらいに、漆喰がどんどんと塗り固められていっていたなぁ。

もともと我慢強い方だし、自己主張も強いけれどどちらかと言うと周りの気持ちをおもんぱかるので、いつの間にか素の自分が欲していることなんて、わからなくなって行ったなぁ。それがいつからなのかもわからない。

ぼろぼろとしょっちゅうはがれる漆喰を、はがれては塗り直ししてきたある日。「ちょっといい感じにようやく完成」と、思えた時期が来た。そのころのわたしは、なんだか前途洋々な気分で「これでもう何が起こってもちょっとやそっとじゃ崩れない」と思っていたのだった。

「あぁ、無情」はビクトルユーゴーの大作のタイトルだけれど、ほんとうにそんな感じ。
漆喰で塗り固めた自分なんて、本当の自分じゃぁないでしょう? と、塗り固めて乾いたばかりで自信満々のわたしに鋭い指摘を入れる人が目の前に現れた。

それを見抜く人すらいなかったのに、しかも完璧に取り繕えるようになった瞬間にそれを見透かされてたわたしは狼狽した。
「それいまここでおっしゃる?」みたいな気持ちと衝撃がわたしの脳天を打ち抜いた。

思えばあの瞬間に、きれいに塗り固めた漆喰にトンカチとのみでカンカンとひびを入れ始められたのだと思う。

そうなると外を塗り固めて取り繕うばかりに一生懸命だったところから、中にいる自分が「だせ」と言い出す。

今までのことを洗いざらい考え直せと言わんばかりの出来事が起こり続け、自分の中ですっかり定義が終わっていたことも何もかも、当然のことと思っていたこと、当たり前だと思っていたこと、変えられないと思っていたこと、すべてを見直す旅が始まった。

何ヶ月かかったかなぁ。

何かあると泣いていた。
涙腺が間違いなくバカになっていると思ったし、理由もわからずに瞬間的に号泣し続けられることがこんなに長く続くなんてあるのか?みたいなかんじだった。とにかく泣かないと始まらない。仕事をしては泣き、ブログを書いては泣き、人と話しては泣き、食事をしては泣いていた。

今まで「泣くなよ」と言われたことはあっても「泣け泣け!もっと泣け」と言われたことはなかった。
泣いてもかまわない、そういわれたから、思う存分、我慢することなく、何ヶ月も泣いた。

もう一生泣いてるんじゃないかって思い始めた頃、ようやく私は泣きやんだ。

心残りなく泣き続けると、涙と一緒にいろいろなものが流れ落ちていた。
今まで自分が培ったと思っていたもの。すなわちわたしが自分自身を覆っていた漆喰が落ちたなぁと感じる瞬間だった。

この国には、ワットトライミットという寺がある。そこにはあるエピソードを持つ仏像がある。

引用ここから
1953年、市内の廃寺取り壊しが決定し、その境内には仏像が放置されていました。全身漆喰が塗られ所々それも剥がれ落ち、顔も歪みあまりに粗末な姿だったので、誰もこの仏像には見向きもしませんでした。
この仏像ををクレーン運び出そうとしたところ、見た目とは異なる異常な重さでクレーンが故障、作業は翌日へと持ち越され仏像は野外に放置されました。するとその夜は嵐となり一晩中雨と風が吹き荒れ、翌日作業を再開するために作業員が仏像に近づいて見ると剥がれた漆喰の隙間から黄金の光が漏れていました。
後の調査によるとこの仏像は700年~800年前のスコータイ時代に製作され、当時略奪の限りを尽くしていたビルマ軍から逃れるため、全身に漆喰を塗り普通の仏像であるかのようにカモフラージュされていたとのことです。純度は60%の金で出来ており、高さ3メートル、重さ約5,5トン、時価推定120億円の価値があるとのことです。
引用ここまで 引用元、写真も

この数奇な物語のように、はがれたあとが黄金の仏像だったという落ちではないけれど、「清々しいほど空っぽのわたし」がいた。

物心ついてから、はじめて自分が見る「わたし」である。
今まで必死に修行と称して勉強していたことも、この国のためにと思ってきたことも何もかも全部どうでもいいと言うか「そんなこともあったねぇ」という具合に。

自分が美しいもの、正しいもの、好ましいものをみたいがために、いろんな眼鏡をかけてみていたものは、そのままだとはとても美しいと思えなかった。

実はそんなこと全部「本当のわたし」は知っていたのである。
だけれど、それは言ってはいけないことだし、感じてはいけないこと、だった。
そんなことにまで「素」の自分になったわたしはどんどんわかっていく。
再定義、再構築、全く別の理解がそこにはあって。

人生を改めてすべてとらえ直し、本当に自分が美しいと思えるもの、自分が心から大切だと思えるものはこれだって感じるままに言える人生を手にするためには必要な行程。

「清々しいほど空っぽ」というのは、実は費やすべきことに費やして来なかった、虚構の時間の代償でもある。
「なんにも知らないわ、大笑い」と、後悔するよりも先に笑いがこみ上げてくる。

だからこそ、無駄にした時間を取り返すべく、楽しんで吸収しようと思う。義務じゃないから楽しい。すべてが知らないことって実は新鮮で活力がある。

知っていると思われているのに知らなかったらどうしようとか、きちんと理解していないからうまく説明できないからと不安に思ってた昔のわたしと違い、「知らないから教えてください」と言える世界が今からいきる世界になる。

何かを慈しむように、自分の本質的な嗜好が顔を出す。それはわたしが絶対捨てなかったけれど、「いいところを一生懸命探し出して見る」ような世界では活かせないもの。空っぽな自分になったからこそ、そういう自分にも出会えた。

漆喰の中も漆喰だったり泥じゃなくてよかった。もしそうだったら、今頃はすべてきれいに粉々になくなっているはずだから。

感性に正しく、自分に嘘をつかないで社会とうまく折り合いを付けるなんて言うことが不可能だと思っていた。

唯一無二なメンターの元にタイミングよく飛び込んだのか、飛び込まされたのかそのあたりは「カミサマノイウトオリ」だとしても、「いつ死んでもいい」から「死ぬまで楽しく生きよう」という変化はわたしの人生に未来を与えてくれた。

未来がある人生って明るいし、何より一生懸命「幸せ」じゃなくていい。ただ、命があるままに「愛おしく」「有り難く」「誇らしく」それこそが「幸せ」なのだ。

ギリシャ神話でパンドラの箱を開けて、人間の生々しい感情と言う怪物が出てきたあと、最後の最後に残ったもの。それは希望だったって言うストーリーにもつながるようなめくるめく時間と経験だった。

pandora

自分の言葉、自分の解釈。

2012-03-12 13.13.09

一年ぐらい前までは、気に入ったフレーズをメモしておくのがすごく好きだった。仏教の教え的なものが多かったと思うけれど、自己啓発系とか。Twitterとかでよく流れてくるような感じの。「気付き」を与えてくれるというセンテンス。

それを読んで反省したり、復習したり、コンビニエントにできるのがよかったんだと思う。

個人的な「ちゃんとしているかチェック」みたいなもので。

それももうこの一年ほどは全く、やっていない。写真フォルダーにたくさん入っているその画像をどんどん消していっている自分がいる。

もちろん、今関心がある易経や陽明学などはコンスタントに目を通すことでその概念の基本みたいなところをきっちり勉強する前に押さえようと思っていたりするけれど。見方が今までと全然違う感じがする。

真実というのはそうたくさんはなくて、階層的に、その人が理解できる程度に、噛み砕かれたものを「真実」として理解するのであって、いくつもある訳ではない。これはいろんなことに言えるのだけれど。

ということは、自分にとって一番フィットする解釈は自分ですればいい、ということになる。

「あの人がこういってたから、感動した」とか「そうだよねって思う」のもいいんだけれど、もうそろそろそんな時期でもないのかもしれない。

私はずっと言葉を教えてきた時も、この国の事象を語る時も、いつも自分なりの分析に基づいた法則を作ってきた。
もちろん、その法則は最初から完璧な訳ではないのだけれど、自分の頭で理解して、自分の経験に基づいた気付きで内的な経験をすることで自分なりの説明ができるようになる。

そのアウトラインができればあとはずっと検証をしていって調整を繰り返す。こうやって法則は作られていく。
アウトプットして聞いてくださる人がいれば、ますます良いものになっていくスピードは速い。
だから対話ってものすごく大事。ソクラテスとプラトンがよい例で、会話によって思考が広がったりつながっていく楽しさって言うのは何物にも代え難いし、一人で考えているより壮大で深いものが生まれる気がする。もちろん相性もあるのだろうけれど。

私は絵がすごくへたで。自分が描きたい通りに描けない感じがすごくイヤだった。今でも唯一許せる作品は高校生のときにやったエッチングで自分の手とか描いた作品だけ。なぜか、絵はどうにか練習しようとあまり思えなくて、今でもなかなか手が動かないけれど、きっとうまくなくても自分の解釈がのっていれば、へたくそであっても許せるのではないかと思う。

今起こる事象についても、哲学的なことについて、受け売りで正しいとか違うとか、批評するのではなく、今まで積み重ねたものを精一杯駆使した解釈を自分の言葉で伝えられたらと思う。

こんなことがあった。
とある方が、私のFacebookやBlogに書いていることがさっぱりわからない、とおっしゃる。
私の文体が悪いのかとも思うけれど、抽象的な事柄がほとんどなのでわかりにくいのは多少はご容赦いただくとして。

で、何度か「私の書いていること」を酒の肴にお話をしたけれど、私の結論としては「こういうことを考えてない人にはわからない」の一言に尽きる。

その人の半分ぐらいの年齢の友人が、私の書いたものにインスパイアされてくれたりすることもあるのに、その倍の年齢の人がなぜわからないのか。
思考というのは、積み重ねなので、いきなり山の頂上からスキーで滑り降りてくるのが無理なのと同じことなのである。

先日、ある著述業の方のお話を伺っていたときに、その方は読者が何度でも読むたび、理解度が深まるに連れて順番に気付きが起こるように文章を書いているとおっしゃっていた。彼の文章はとても精緻で力強いから、仕掛けもたくさん仕込まれていて、読者がそれを期待しながら読むことも当然だろうと思う。

そう言うことすべてにつながるんだと思う。
自分で解釈すること、自分の言葉で定義付けして表現できること。
それが私の世界の見方だし、私の思うありうべき世界を表現するためのベースとなるのだから。

「自分だけが正しいと思うな」と父が私に教えたように、こちらの誠意や配慮が相手にとっては不義理になったり、失礼になったりもする。それはいつもコインの表と裏、表裏一体なのだ。

みんなにやさしくはできないのかもしれない。思考し続けていない人にわかることは書けないかもしれない。そもそも、そう言う人に伝えるべきことはここにはないのだけれど(苦笑)、私の生きている証というか、成長の過程なのだろうと思う。

それを他の人の言葉や解釈に委ねていては、成長と言えない気もして。
今起こる出来事や周りにできるだけ謙虚で誠実にバイアスをかけることなくみていたいとも思うから。

気持ちにも頭にも縛りがなくなった今、そんなところに一歩を踏み出せたらと思っている。

修行の終わり、精進の始まり

2012-04-11 20.26.31

はじめてこの国に来て、仏教を学んで。
「出家したい」ずっとそう思っていた。

この国には正式に女性が出家するシステムはなく、日本にも来ているとある宗派というか団体が力をつけている頃で。
知人が通っていたので連れて行ってもらったことがあったが、そこでは女性も出家のまねごとをしていたがそれには全くピンと来なかった。

仏道を学んで悟りのための瞑想して暮らしたい、と10代の私は本気で思っていた。
毎日の暮らしの中でふと、「出家したらいろんな世俗の人が悩みを相談しにくるだろう、そのときにこの年で出家したら彼らの痛みや苦しみがどんなものかわからない。親身になって話を聞くには経験不足過ぎる。社会を学ばないと」

17歳の時だった。その時から「いつかは出家」というのが私の目標になった。

それからの人生は何も知らなかった私にたくさんの経験値を与えてくれた。

時が過ぎ、経験を積めば積むほど、「修行」という終わりのない行為がぬかるみに足を取られたように果てしなく岸にたどり着けないもののように感じていた。自分の小ささや弱さやいろんなものをより一層知るからであり、歩を進めたつもりでも景色は変わらない。そんな気がしていた。

私が師と仰いだ人たちは、私のことを勝手に「免許皆伝」としてしまうことも不満だった。
出来の悪い私を適当にあしらっているんだと思っていた。

教えられた通りのことを毎日欠かさずやっていると、だんだん教えてもらうことがなくなっていくのだから仕方がない、とも思った。

あるとき、読経をしてたら、教えることがなくなった師が発音に難癖つけるようになった。
発音が正しくないと、届かない。もうそれって?みたいな感じだった。

そのうち、ずっと見ないようにしていた矛盾点やおかしいと思っている部分がどうしても見過ごせなくなってきて、修行する意味や目的よりも大きくなってきてしまった。

そんな時、「もう十分修行してきたよ」といってもらえたことが転機になった。

とはいえ最初は「イヤイヤそんな、まだまだです」って言ってた。

でも自分が乗っかってきた枠組みからはみ出して、自分ももう「違う」って思ってしまったら「ありうべき修行姿」みたいなものも、「いつかは出家」みたいなものも全く色あせてしまった。

本当は、とっくに色あせてたのに自分がわざわざ色付きの眼鏡でみていただけなんだと思うのだけれど。

私が修行をしようと思ったのは、自分を高めたかったからだし、出家するのは本質を極めるためで、そのためには社会で起こることと人の気持ちがわからないといけなかった。

そこには私がどうしても入りたかった枠なんて実は必要じゃなかった、という訳。

修行という言葉は、行いをおさめると書くように、その行いによって「悟り」というサーティフィケーションをおさめるということだろうと思う。要するに「悟り」がゴール。

でも、そこじゃないの、目指しているのは、と思う。

悟りなんて一瞬の気付きなのであって、それが日常になったらまた新たに何かを悟る。それが常態となったとき、覚者となった仏陀となるんだという理解をしている。私はべつに常態でなくても、連続していればそれでいいか、と思う。

そうこう考えていると、精進するという言葉が浮かぶ。
とぎすまして進む、ということ。だから、雑念を払い、専心して一生懸命に行うことで、ここにはゴールがない。

精進するということは、いつも書いている「カミサマノイウトオリ」に自分が生きることであり、その状態を表すのに一番適しているような気がする。

精進には修行のような苦しさも辛さもありうべき姿もない。
ただ、自分自身をカミサマがいつでも動かしたいように動かせるように、万全の注意を払って準備をしていればいい。
それを望む私にはこんなに楽しいことはない。

辛く苦しかった修行ライフはもう終わり。これからは楽しい精進ライフが始まる。

想像力の働かせ方。

2014-02-11 18.20.45

仕事をし始めた頃。失敗したりした時の想定が不十分で対応が後手に回ってしまってひどく後悔するということを何度となく経験した。

学生時代「賢い女は不幸だ」といっていた頃があった。女子大に進学したおかげで回りに女の子がたくさんいたので、彼女達と話していて分析した結論だった。賢い女は想像力が逞しく、計算力に長けているので瞬時にメリットでメリットを見定めてその状況にいくのかいかないかを決めてしまう。それは好意を持った男性とかにも当てはまることで、脳内でシュミレーションして想定して、「ヤーメタ」となったり諦めたりする。

そういう周りの女性達はたいていとても頭が良く、しっかり者なのだ。(私のリサーチでは美人率も高い)私自身はいつだってチャレンジャーで、「やってみないとわからない」と思って行動することが多かったから、不細工でちょっと頭が悪い私は、どちらかというとその逆だった。だからよく「ばかでよかった」、と彼女達にもいっていた。

失敗は多いけれど、後悔はない。そういう人生を歩いてきたように思う。

恋愛やプライベートではそれでかまわなかったとしても仕事ではそうはいかない。特に、大学をやめてフリーランスになった頃から私は脳内シュミレーションがどんどんと上手になっていった。

もともと心配性だから、「上手く行かなかった時」のことを考えるのはお手の物である。それに失敗する要素やタイミングでどれくらい何に影響があるかを考える。仕事をしている人なら少なからずやっていることだろうと思う。

自分が会社を立ち上げて、仲間ができたときには嬉しくてなんだかそこをうまく考えていられなかったような気がする。だから、最初三人で立ち上げたはずの会社に、残ったのが私一人になった時、私はいい感じにどん底な状態になっていた。

この想定が一番底辺だ。今ここが一番最悪でひどいんだ。何度思ったかしれない。だけれど、底なし沼のようにその状況はどんどんと想像を超えてひどくなっていく。

落ちていくきっかけなんて本当に実は些細なことだったのかもしれない。だけれど想定の範囲をどんどん超えていく中で自分に残された選択肢がどんどんと秒読みで少なくなっていくのを体感していた。それを感じるのと同じぐらいの勢いで不安感が増していくのだから、前向きに考えるなんてことはおおよそできずにいた。

そんな中で、義務や義理としてこうしておかなくては、とかこうすべきだ、こうしておきたい、と思っていたことがどんどんと自分の手に余っていった。生きていくのも困難な中で何を誰かにしようと言うのか、と今なら思うけれど、どれほど自分をせめても自分を許せないでいた。

生きていけない、って言うのはすごく切実だから、無理矢理そこでどうしても手放せなかったものをどんどんと手放すようになっていく。ある意味、図太くなっていく自分が生まれたのはここからだと思う。

孤独な中ではじめて胆が座ったというか、相手に遠慮ばかりする自分がいなくなった瞬間だったと思う。

心配性だけれども根は前向きな自分が軸を立て直して、生きるための選択をしていったのかな、と当時を振り返って思う。
それからはできるだけ論理的に積み重ねた「根拠」を積み重ねることによって感情に振り回されない、周りにも振り回されないシュミレーションで、自分を鼓舞し、周りも鼓舞しながら結果的にどんどんと前に進めるようになってきた。

それぐらい、身軽になって、胆が座っても状況的に厳しいなぁということがやっぱり突然やってくる。もしかしたら突然、ではなくてむしろ自分を鼓舞できなくなるぐらい打ちのめされてたり、状況を前向きに捉えられなくなったことがあった。

最悪の想定が「社会的」なものであってももちろん当然のことながら「プライベート」にまでその余波が起きる。いくらいろんなものを捨てきって笑うぐらい身軽な私でも、イヤそんな私だからせめてここぐらいは・・・、みたいに守りたいものだってある。後ろ盾もない孤立無援な状態で、それが守りきれなかった時のことを想定すると、浮かぶ結論はたった一つしかなかった。

そんな最悪の想定をして自分を痛めつけても、最善の何かは生まれない。そこで生まれたたどり着く唯一の結論への道のりはその道程がどのようなものであれ、そこに一直線に進むのだ。だからもうその時は、潔くその漆黒の闇に身を投じて受けるべき裁きを受けるけれど。でもその一直線の道に入るまで、状況が変化しうるところでそんなに自分を痛めつけても百害あって一利無しではないか、と思うに至った。

諦めないで、上りたい階段を必死に上ろうとするために前向きに想像力とシュミレーションをしつこくできるかどうか。それを冷静に論理的にできるのか。不安と希望のどちらを選択するのか。

諦めるためではなく、奈落に落ちるためではなく、行きたい世界に行くために自分の想像力を使わないと。

背伸びをしたその後は。

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日本で仕事をしていた時はいつもピンヒールだった。7センチ以下のヒールを履いたことがなかった。
自分の中で、仕事をするというオンモードとピンヒールはいつもセットだった。

ばりばり仕事をする自分っていうイメージにピンヒールは欠かせなかった。

この国にいると、ピンヒールは隙間のあいたブロックや微妙に広い鉄の網にさっくりと刺さったりはまったりして、ドアトゥードアの送迎付きでエレガンスに仕事をするのでない限りピンヒールをはくにはそぐわない環境。

だけれど身長も小さい私はどうしてもヒールが履きたくて、迷った結果、日本だったら邪道だといって絶対履かなかったウェッジソールをこの国で履くようになった。つま先からかかとまでが厚いソールなので、ささったりしない。

慣れてしまえばこの方がバランスがいいので引っ掛けたりすることもないし、楽なのだけれど、ピンヒールと大きく違うのは「背伸び」感である。

ピンヒールのいいところはいつもつま先立ちしているような、ふくらはぎがきゅっと締まる感じ。あれが辛いような身が引き締まるような感じでとてもいい。一方、ウェッジソールは視界的には同じだけれども、つま先も多少あがっているのでそれほどつま先立ちするような感覚ではなくなる。

前置きが長くなってしまった。

自分が変わりたいと思うときに、「もう既に変わった自分として振る舞う」ということをやってみると、技術的なことや記憶しないといけない、経験値がいるものではなく自分の性質や内面、習慣みたいなものは意外とそれで簡単に変わってくれる。

習慣化はだいたい2週間以上の継続で一つの山を越え、その後1ヶ月、3ヶ月と着実に毎日それに時間を費やしたりできるハードルがあがっていくと聞いたことがある。

私自身、この方法を使って少なからずいろいろなことを自分で習慣化させていけたので、人によってかもしれないが有用性はあるんじゃないかなぁと思っている。

振り上げた拳の行き場に困る、じゃないけれど「背伸び」をした後はどうなるんだろう、とふと思う。

もちろん、その「背伸び」がきちんと習慣化されて、ピンヒールを履いているがごとく毎日背伸びしていられたら、それはもう「ちょっと無理をする」というより「当たり前で自然」な常態なのだからそれで問題ないのだろうと思う。

問題はそうできないとき。「背伸び」していたかかとを知らずにおろしてしまっていたらこんな疑問もおこらないのであろうけれど、「もう足がしびれて痛い」「こんなに辛いと思わなかった」と思いながらまだ「背伸び」しているなら。

それは実は今の私の現状をうまく表している気もするのだけれど。
かかとをおろすにおろせないでいながら、全然それが慣れもしないし、誰かがその背伸びにフィットしたピンヒールを履かせてくれるのを待っているのだけれどまだ履かせてくれない。待ち人来らずなシンデレラ状態。

でも結局、ここまで痛みに耐えながら踵をあげてきたのに今おろしちゃったら、残るのは痛みだけ。

あともう一日、もう一日と思いながら、いつかそれが慣れるというか、ご褒美にピンヒール履かせてくれる日を待つのが勝負所なんだろうね。

申し訳なさとの共生。

2013-04-19 14.44.03

多かれ少なかれ、人生の中で自分のことを卑下したり劣等感に苛まれたりすることがあるだろうとおもう。

能力やテストの点数のように努力でどうにかなるものもあれば、美醜のように他人の基準だったり、経験値や知識の蓄積のようにある程度の時間をかけないとそれを自分のものにできないものもある。

いずれにしてもそれが自分の属性であることを受け入れてそれを向上させるか、劣等感として劣等感までも自分の属性としていくかは自らの問題であると思う。

ある程度長い人生を生きてきて「これを成し遂げた」ということをいくつも持つ人と、そうではない人がいるだろう。「成功体験」といってもよいと思う。

その「成功体験」の少なさが自信をもたせなかったり、自らの存在を卑下させたりするのであろうと思う。
私も今までそうだった。
いや、今でもそうなのかもしれない。

成功できなかったのは自分の能力の低さや運のなさや視野の狭さが原因だから、自分に帰するものだからそこについては望むとも望まざるとも自分で受け入れるしかないのだろうと思う。

だけれど自分の周りの人は、私のそれとは関係がないのに。

そんな気持ちがいつも身近な人に対して申し訳ない、という気持ちを持つ原因だったろうと思う。

簡単にいうと「自信がない」といえばそれまでなんだけれど、むしろ「こんな自分でごめんなさい」という感じでいる。

自分が大好きで、大事な人なのに、自分みたいな人間といることが申し訳ないなんて、あまりない感覚かもしれない。客観的に考えるとすごくアンビバレントな感覚だろうなと思う。

だけれどいつもこういう気持ちを持ち合わせていたなぁと思う。

理解しがたい感覚かもしれないけれど、基本的にこんな気持ちで誰かといたって幸せになれない。

わかっていてもどうしようもなかった。

そこから今、抜け出そうとしている自分がいるのは、やはり「信じる」という概念をここに来てがらりと変えられたからだと思う。「誰かを信じる」ということにはいろいろな段階があるかもしれないけれど、信頼という形で自分をなげうてたとき、それは回り回って自分のもとにやってくる。

申し訳なさでまた殻に閉じこもるのはそう言う人生を送ってきたら、そうしてしまうことの方が実は楽な選択なのだけれど、それをぐっとそのまま耐えることで、今までなかった「成功体験」のようなものが自分に生まれるのかもしれない。自分一人の時には耐えきれなかった何かを、信頼や愛情が一緒に支えてくれる。

ふと、殻にこもろうとした自分を何かが止めてくれる。
それは自分が孤独ではないという証でもある。
そのままの自分を受け入れてもらえているという安心感の現れでもある。

かといって、自分の過去の経験がぐっと素晴らしいものになる訳でも、成功体験が増える訳でも、見目形がよくなる訳でもない。

今ある姿を認めながら、ただ向上していくことだけに劣等感を使えるなら、それも悪くないのではないか、と思う。

受容と信頼

2012-03-04 12.14.32

 
最近になってようやく、信頼できることの素地ってなんなのかその鍵がわかったような気がする。

それは幾度も信頼関係を築こうとしながら、いや、築けていたつもりで実際のところ信を問われるような状況ではそのあたりが揺らいでいることがあらわになるといったようなことがプライベートでだって、仕事関係でだって少なからずあったように思う。

だから私は「信頼」という言葉が苦手で、「その人間関係にあった距離感で」「見返りを求めず自分が最善と思うことをする」という、あまり相手にコミットメントしないやり方を旨としてきた。

私が先ほど書いたようなコミットの仕方をするようになったのは、やはり「受け入れられない」感を感じることや自分と相手の何かを天秤にかけるようなことに疲れてしまったからなんだろうと思う。

人間はどうしても比較をするから、「私の方が〜だ」とか「相手に〜させている」みたいに思う時期があると思う。それが常態になってしまうと「慣れ」になってそれが「当然」になって「感謝」が生まれない代わりに「軋轢」や「不満」が生まれる。

私は「受け入れられない」感もその関係に「慣れて当たり前になる」ということも誰かとの関係で陥ることを警戒していたんだろうなと今思う。

それぐらい人間関係だとかに疲れていたといえばそう言えるのかもしれないけれど。

だから、親しげな部分とものすごく冷たく感じる部分が混在していることが見えてしまった人にはつきあいづらい人間だとも思うし、基本的に今でもその方針が大きくずれることはない。

だけれども、多少ならずともその「他人行儀さ」が私生活では問題になることもあったりする。近しければ近しいほど相手の「親密度」は上がるのだから、家族なんかが良い例かもしれない。何度「他人行儀な」と言われたかわからないほどだけれど、今となってはどう振る舞えば「家族らしい」のかもよくわからない。

誰にでもその人の「許容量」があって、それが自分に向けられている割合が自分の期待値よりも小さいと、自分の思いなんかは関係性からあふれてしまうし、期待値よりも大きいと相手が物足りなく思ったり、相手の存在を重く感じてしまう。

これはお互いそれぞれ環境や性格で全く違うからこれがぴたりと合うことなんてないんだろうとも思う。それに、ぴったりは合わなくても、「この人の許容量はこれくらい」と推し量ることでうまく付き合いができることもあるだろう。

そうやって「愛しすぎないように」とか「深入りしすぎないように」「迷惑かけないように」とか思っていることは関係にはうまく働くこともあるけれど、自分は満たされるのかというとそうでないことも多い。それだけでは済まず、関係性に気を使いすぎた結果、それが度を超して結果的に相手をものすごく怒らせることもある。よかれと思っていたことが相手に伝わらないことで、自分の本心が何を求めていたかなんて気にも留めなくなる。

拒絶だとか裏切りだとかを経験するよりもその方がずっと楽だし。
社会生活を円滑に送るためにはこれはこれで快適だ。

何かを信じようとした時、その根拠みたいなものを人はいつも求めると思う。それが確実であろうがそうでなかろうが。その根拠が「確実」だとか「本当」って思えたとき人は信じるという気持ちを何かに求められるんだろうと思う。

今まで私はその根拠がいつも弱くて信じるという気持ちがいつもぐらぐらしていたのは、「受容」というところにポイントがあったように思う。自分はだせるだけの許容量で最善を尽くすけれど、相手はどうかを見ないでいるということは、受容のバランスが完全に狂っている。

宗教というのが比較的簡単に人との関係を築くのが苦手な人々にとって受け入れられやすいのは「受容」されるという行程が省かれている(双方向ではなく、信心の一方通行でいいということ)ことともつながるような気もしている。

相手は受け入れるけれど、受け入れられているのか、それが本当なのかを見ないようにしているのだから、信じられるわけないのであって。

でも自分が満たされるだけの根拠を提示され、コミットメントを求められたら。

その伸ばされた手は、今までの経過が長く、様々な経験をしてきていればこそ、握るのに勇気がいる。また辛い思いをするかもしれないと思うとしっかりとは握れない。握っているつもりでも握力が弱いかもしれない。

しっかりとその手を握っていると感じられる(信じているとわかる)のはその相手の体温を感じるからで、手をつなぐという行為が信頼ならば、相手の体温を感じるということが相手を受け入れるということなのかもしれない。触れ合わなければ熱は伝わらないし、指を絡めることだってできないのだから。

もちろんもっと簡単に考えて、容易にできる人だっているだろう。

私自身はそうではないからずいぶんと遠回りしてたくさん考えてきましたが。
だからね、誰とでも手なんてつながなくっていいと思う。
でも、誰かの手の温かさを知って、手をつないでいられるっていうのは物の見方がずいぶん変わるよっていいたい訳で。

それまでわからなかった自分の親しい人への「他人行儀さ」加減だとかも、少しはわかるようになったりしたことで、見えなかった一面が見えてきたり。

覚悟をして渡った分、ご褒美として見えてくる世界は本当に自分を変化させるにふさわしい、何か。
そしてそれこそがきっと、求めていたものなんだろうってこと。

本当の目標を持って長生きをする。

2014-05-14 19.54.04

先日、あるウェブニュースで「長生きの秘訣は、運動や食事より「生きる目的」」という記事を読んだ。

カナダのカールトン大学で心理学を教えるパトリック・ヒル 准教授達の研究成果だそう。

〜引用ここから〜
研究チームによれば、(調査期間中に)亡くなった人々が報告した内容は、まだ生存中の人々に比べると、肯定的な人間関係が少なかったほか、人生の目標が低かったという。全体として、人生の目標が大きいほど死亡リスクが低いことが一貫して予測でき、若年、中年、老年の参加者すべてにおいて、同じ効果のあることが示された。そして、目的意識を見つける時期が早いほど、その効果は高いという。

「目的を持った方が長生きできるという予測が、若い人でも年配の人でも同じように成り立つことが証明されたのは非常に興味深い。これは、目標を持つということ自体に、長生きにつながる力があることを示すものだ」とヒル氏は説明する。

中略

2009年に行われたある研究では、人生の経験から意味を見出し、目的意識を持っている人は、「ほんとうの目標」がない人に比べて、その後の5年間で亡くなる確率が約半分だったという。

別の研究では、目的意識を持つことが、アルツハイマー型認知症のダメージから脳を守るのに役立つことが示唆されている。

〜引用ここまで〜

これを読んで、改めて人間がただの「動物」なのではなくて「魂」がその「身体」を支配していることを改めて認識した。このあたりの国の人たちが日本などに比べてあっという間に年を取り早死にしていく理由もここにあるのではないかとも思った。

本当の人生の目的ってなんなんだろう、と改めて思う。人に理解されない、一笑に付されるほどの壮大な目的を持っていてもその目的のためなら長生きできるのだろうか。その目的を達成したときに一緒に喜んでくれる人がいなくて長生きする意味があるのだろうか。

なんてことも考えてしまう。

人生の本当の目的とは人それぞれだろう。目的が本当かどうかということよりもそれを自分のコンテクストで理解をし、励まし、支えてくれる人がいなかったら目的なんて果たせるのだろうか、とも思う。深い理解をしてくれる人がいなかったら、その日常ほど孤独なものはない。

目的が壮大であればあるほど、毎日の暮らしからはかけ離れたものなのだから。

そうすると目的に日常が押しつぶされたり、目的が日常に押しつぶされるということだってあるのじゃないかとも思う。

どれだけ心を強くしていれば、壮大な目的を持ち続けて日常を過ごしていくことができるのだろう。
それでも長生きする意味がどこにあるのだろう。

でももしかするとそんな大層なことでもないのかもしれない。
美しい魂を持つ人はそんなこと一生懸命「意味付け」や「価値付け」しなくても軽々にやってしまって、にっこりしながらその生涯を終える、それぐらいのことなのかもしれない。

ほかの「動物」とは違い魂を持ち、大きな目的を果たそうと奮闘する人間が日常や孤独に押しつぶされないという保証はない。だけれど、それこそが「カミサマノイウトオリ」に示される道をただひたすらに一歩ずつ歩くことが結果「壮大な目的」を持ち続けたこととなるのであれば、そんなに悲壮なことでもないような気もする。

すべてを自分に帰結せず、存在するかどうかわからない何かに成り行きを任せるというのも「本当の目的と長生き」の関わりと同じように「遥かなるもの」に標準を置くことで長い道のりを歩くという意味では近しいのかもしれないと思うに至った。

無欲に生きる

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人間なんて欲望の固まりで、欲=欠けていると思うもの、足りないと感じているものをさらに補いたいという気持ちがあってこそ社会生活も日常生活も「より良いもの」として成長が期待される。

17歳で「欲」というものが自分を苦しめる、「自我」というものが衝突を生むのだから、限りなく小さくした方がいいと得心した私は、「ありうべき姿」を「無欲と無我」に無意識に求めていたのであろうと思う。

求めながら足が止まる。「欲」がないと何も進まないのだ。欲することからすべての行動が起因するのだから当然のこと。「無欲」では生きられないなら最小限度に自分の成長のためだけに欲をもとうと決めた。

いろんな不必要な「欲」だと自分が感じるものや魂が自由になるものを拒絶してきたのかもしれない。

それは結果的に若いときに広げるべき見聞だとか、同じ世代の友人たちのような経験を積むことからも自分を遠ざけていたかもしれない。

そう考えると、あの頃に自分が「宇宙人」とアルバイト先で呼ばれるほど周りとかけ離れていたことも今ならよくわかる。あの頃は全くわからなかったけれど。

「無欲と無我」を追求しながら社会生活を送るのは苦痛でしかない。と気がついたのは大学生活も後半に至った頃だったと思う。

それを手放す選択をしても、そうかんたんに長らくこびりついた「ありうべき姿」が簡単に姿を消すはずもなく、精神の求めるストイックさと自分の生き方にずいぶん長くそれからも葛藤をしていたなぁと思う。

それから何年もかけて、私は周りの人が楽しいと思うことや面白いと思うことに時間をかけて理解して馴染んだと思っていた。その中に自分の楽しさも面白さも見つけられたと思っていた。

だけれど、それは結果的に私に合うものではなかったのだろうと思う。自分がいかに生きるか、どうして孤独を感じるのか、愛とはなんなのか、人はなぜ争うのか、憎むのか、正しく生きるためにはどうしたらいいのか考え続けていた私の何かが悲鳴を上げたのだと思う。

そんな経緯を経て、今ここにいる私。(悲鳴を上げて何かが壊れてから今に至る話はまたの機会に)
願わくば、無欲の意味を取り違えて自分の可能性や見識をずいぶん狭めてしまったから、これからそれをどんどんと広げていけたらと思っている。何にもとらわれず、先入観も偏見もなく。

結局、私は自分がよい人間、神様の良い器になりたいだけなのだけれど。
無欲と無我は結局「カミサマノイウトオリ」ということでもあるのだから、巡り会った環境と関係に身を任せて尽くすこと。これに尽きる。

これが若い頃の私が求めたのとはまた違う「無欲と無我」の境地ではないかと思う。