本当の目標を持って長生きをする。

2014-05-14 19.54.04

先日、あるウェブニュースで「長生きの秘訣は、運動や食事より「生きる目的」」という記事を読んだ。

カナダのカールトン大学で心理学を教えるパトリック・ヒル 准教授達の研究成果だそう。

〜引用ここから〜
研究チームによれば、(調査期間中に)亡くなった人々が報告した内容は、まだ生存中の人々に比べると、肯定的な人間関係が少なかったほか、人生の目標が低かったという。全体として、人生の目標が大きいほど死亡リスクが低いことが一貫して予測でき、若年、中年、老年の参加者すべてにおいて、同じ効果のあることが示された。そして、目的意識を見つける時期が早いほど、その効果は高いという。

「目的を持った方が長生きできるという予測が、若い人でも年配の人でも同じように成り立つことが証明されたのは非常に興味深い。これは、目標を持つということ自体に、長生きにつながる力があることを示すものだ」とヒル氏は説明する。

中略

2009年に行われたある研究では、人生の経験から意味を見出し、目的意識を持っている人は、「ほんとうの目標」がない人に比べて、その後の5年間で亡くなる確率が約半分だったという。

別の研究では、目的意識を持つことが、アルツハイマー型認知症のダメージから脳を守るのに役立つことが示唆されている。

〜引用ここまで〜

これを読んで、改めて人間がただの「動物」なのではなくて「魂」がその「身体」を支配していることを改めて認識した。このあたりの国の人たちが日本などに比べてあっという間に年を取り早死にしていく理由もここにあるのではないかとも思った。

本当の人生の目的ってなんなんだろう、と改めて思う。人に理解されない、一笑に付されるほどの壮大な目的を持っていてもその目的のためなら長生きできるのだろうか。その目的を達成したときに一緒に喜んでくれる人がいなくて長生きする意味があるのだろうか。

なんてことも考えてしまう。

人生の本当の目的とは人それぞれだろう。目的が本当かどうかということよりもそれを自分のコンテクストで理解をし、励まし、支えてくれる人がいなかったら目的なんて果たせるのだろうか、とも思う。深い理解をしてくれる人がいなかったら、その日常ほど孤独なものはない。

目的が壮大であればあるほど、毎日の暮らしからはかけ離れたものなのだから。

そうすると目的に日常が押しつぶされたり、目的が日常に押しつぶされるということだってあるのじゃないかとも思う。

どれだけ心を強くしていれば、壮大な目的を持ち続けて日常を過ごしていくことができるのだろう。
それでも長生きする意味がどこにあるのだろう。

でももしかするとそんな大層なことでもないのかもしれない。
美しい魂を持つ人はそんなこと一生懸命「意味付け」や「価値付け」しなくても軽々にやってしまって、にっこりしながらその生涯を終える、それぐらいのことなのかもしれない。

ほかの「動物」とは違い魂を持ち、大きな目的を果たそうと奮闘する人間が日常や孤独に押しつぶされないという保証はない。だけれど、それこそが「カミサマノイウトオリ」に示される道をただひたすらに一歩ずつ歩くことが結果「壮大な目的」を持ち続けたこととなるのであれば、そんなに悲壮なことでもないような気もする。

すべてを自分に帰結せず、存在するかどうかわからない何かに成り行きを任せるというのも「本当の目的と長生き」の関わりと同じように「遥かなるもの」に標準を置くことで長い道のりを歩くという意味では近しいのかもしれないと思うに至った。

人間の耐性とある決意

2014-01-20 16.26.21

エスキモーの人だったかなぁ、ずっと首を絞められているとそれになれちゃうんだって言う話を聞いたことがある。(どうして首しめるんだったかは記憶にないんだけれど、大阪の「みんぱく」で見たビデオで聞いたんだと思う。あまりにも衝撃的だったからずっと覚えている)

首を絞めるという具体的に肉体に及ぼされる行為であっても、精神に及ぼされる行為であっても人間はその目的や理由を納得さえすればそれに順応して耐えられるように変化していくんだということをそのときに何となく理解したような気がする。

それは「ありうべき姿」だとか「希望的観測」とかなんでもいいんだろうとも思う。私がずっとこの国で求めてきたものだって実はそうだったのかもしれない。それがあったからこそ、自分の心が壊れそうな出来事があっても、そこにすら「希望的観測」と言うよりは一歩はなれると「無理矢理良い方に転換する」または「諦観」というこの国にいるとうまく使わないとやっていけないこの仏教思想を手だてとしてエクスキューズをしてきたのだろうと思う。

エクスキューズをし続けて、何を得て何が変わったのだろうか。私はずいぶん忍耐強くなったし、相手の思いを汲み取り、理解するということにかけては本当に高い能力を持つことになったと思う。じゃぁ、それに応じて環境は変わったのかというとそうでもないというのが結論だ。理解を示すことが相互の関係を良くしていくのではなくむしろ、相手にマウンティングされる、助長されるチャンスを与えるだけのものだと。

論より証拠、この国では「誰かからお金をもらった側」と「もらえなかった側」が争いを続ける。彼らはお互いの手の内を良く知っているから相手にマウンティングされるようなチャンスは与えない。ただひたすらにそのグループの人たちが思う「ありうべき姿」を追求して、首を絞めあうだけのことなのである。

これはもう「ネバーエンディングストーリー」終わりのない物語、と呼ぶにふさわしい、いろんなことに耐性のない彼らが実はこんなところで強力な耐性を発揮するのはなかなか皮肉だなと思いますが。

この物語に気がついた時点でもう麻酔は切れちゃうんですよね。シンデレラが舞踏会で夢見心地に王子様とダンスをしていたのと同じ感じ。本当はぼろぼろの洋服でいたのにねって。首を絞められていたら苦しい。裏切られたら心が痛い。人間が普通に暮らしていると普通に感じる感覚が心身によみがえってくる。

あたりまえのことなんだけれど「こんなに痛かったの?」「こんなに苦しいこと今までしていたの?」

何やってたんだ?と思う。

ある場所で出会うべくして新しい友人ができた時、彼はここに希望と夢と将来をかけていたと思う。その彼に私を含めて数人の新しい友人達が出会って一斉に同じ見解を彼に話したという。その友人達も皆10年以上のキャリアの持ち主だそうで。

ほぼ一年かけて彼は友人や私の意図するところをあっという間に汲み取り、一年前とは全く違う彼らしい方向性を見つけたことを話してくれた。

「思考」する人間にとって、その流れを抑制されて同じ結論にだけいつもたどり着くようにするなんて言うのは本当に苦しいことで。そしてそれが世界のマジョリティーでもなんでもないし、自分にとって「正しい」と思えることでもないのであればその苦しさを許容してまで自分の思考や行動を抑制することには何の意味もない。

自分の思考が抑制されない、ドラッグのような、自分が正しいと思えない誰かの「ありうべき姿」や「希望的観測」で惑わされもしない場所だってあるはずだ。

ありのままでいくという決意。安い酒のように酔いきれない美辞麗句はいらない。

無欲に生きる

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人間なんて欲望の固まりで、欲=欠けていると思うもの、足りないと感じているものをさらに補いたいという気持ちがあってこそ社会生活も日常生活も「より良いもの」として成長が期待される。

17歳で「欲」というものが自分を苦しめる、「自我」というものが衝突を生むのだから、限りなく小さくした方がいいと得心した私は、「ありうべき姿」を「無欲と無我」に無意識に求めていたのであろうと思う。

求めながら足が止まる。「欲」がないと何も進まないのだ。欲することからすべての行動が起因するのだから当然のこと。「無欲」では生きられないなら最小限度に自分の成長のためだけに欲をもとうと決めた。

いろんな不必要な「欲」だと自分が感じるものや魂が自由になるものを拒絶してきたのかもしれない。

それは結果的に若いときに広げるべき見聞だとか、同じ世代の友人たちのような経験を積むことからも自分を遠ざけていたかもしれない。

そう考えると、あの頃に自分が「宇宙人」とアルバイト先で呼ばれるほど周りとかけ離れていたことも今ならよくわかる。あの頃は全くわからなかったけれど。

「無欲と無我」を追求しながら社会生活を送るのは苦痛でしかない。と気がついたのは大学生活も後半に至った頃だったと思う。

それを手放す選択をしても、そうかんたんに長らくこびりついた「ありうべき姿」が簡単に姿を消すはずもなく、精神の求めるストイックさと自分の生き方にずいぶん長くそれからも葛藤をしていたなぁと思う。

それから何年もかけて、私は周りの人が楽しいと思うことや面白いと思うことに時間をかけて理解して馴染んだと思っていた。その中に自分の楽しさも面白さも見つけられたと思っていた。

だけれど、それは結果的に私に合うものではなかったのだろうと思う。自分がいかに生きるか、どうして孤独を感じるのか、愛とはなんなのか、人はなぜ争うのか、憎むのか、正しく生きるためにはどうしたらいいのか考え続けていた私の何かが悲鳴を上げたのだと思う。

そんな経緯を経て、今ここにいる私。(悲鳴を上げて何かが壊れてから今に至る話はまたの機会に)
願わくば、無欲の意味を取り違えて自分の可能性や見識をずいぶん狭めてしまったから、これからそれをどんどんと広げていけたらと思っている。何にもとらわれず、先入観も偏見もなく。

結局、私は自分がよい人間、神様の良い器になりたいだけなのだけれど。
無欲と無我は結局「カミサマノイウトオリ」ということでもあるのだから、巡り会った環境と関係に身を任せて尽くすこと。これに尽きる。

これが若い頃の私が求めたのとはまた違う「無欲と無我」の境地ではないかと思う。

哲学科研究室のゼミ室に差し込む夕日

2014-04-29 18.44.58

大学2年の終わりの頃だったろうか。

自分の興味関心に大学の授業があまりにもの足りないでいる私を危惧した指導教官が、「この人に会いにいってご覧」といって会わせてもらったのが、私の大学から山を二つ越えたところにある大きな総合大学の哲学科の博士課程の人だった。

緊張した面持ちで一回りも年上の高野山の研究をしている彼と面会をした。年よりもずっと若く見える彼は私の話をひとしきり聞いたあと、「じゃぁ、K先生の授業でてみたら、それがいいわぁ。私から先生にお願いして改めて連絡しますから」と彼の故郷の茨城弁なまりでいってくれた。

おそらく、外国の宗教ばかり勉強していた私に国内のこともやっておいた方がいいという指導教官の配慮で私はとある大学の大学院の哲学科のゼミに出席することになった。

K先生は当時は東京大学の教授でこの大学には非常勤で教えにきていらして、数年めだったように記憶している。最寄り駅からバスに揺られて、たくさんある学部ごとの建物にくらくらしながら文学部の哲学科にようやくたどり着いて。

6階か8階に学科の事務室みたいなところがあって、そこにおそるおそる入っていった。ほかの大学のましてや学部生だからいいのか?って気持ちで緊張しながらおずおずとその奥にあるゼミ室に入った。

そこはおそらく多くの人が「研究室」って言うと思い起こす、天井までいっぱいの古い本とその古い本が醸し出す埃っぽいかんじとと甘い匂い。積み上げられた本で薄暗い室内に小さめの窓。

K先生は笑顔でひとしきりの経緯は聞いたこと、私の自宅近くにある大学に数年勤めていたことなどを話した上で、快くゼミに参加させてくださった。

その当時、ゼミでは鎌倉仏教の思想を研究していて、叡尊というお坊さんの書いたものを読みながら当時の思想を調べて発表していた。もちろん「ごまめ」なのだけれど、学外でかつ門外漢の私にとっては刺激的な場所だった。「学問ってこういう風に生まれるんだ」みたいな雰囲気を先生とほかの院生の人の議論でずいぶん味わうことができた。

「ごまめ」なんだけれど、一年に一度ぐらいはK先生から「こんちゃん、たまには、やってみる?」と言われて発表する機会をもらったけれど、緊張しすぎて何をどう発表したかすら記憶にない。K先生は当時既に著名で素晴らしい業績もお持ちでしたが、それに加えて素晴らしいお人柄で、いつも明るく、いろんなことをすべてお見通し、という先生だったので私も3年間もこのゼミにお邪魔できたのだろうと思う。

学期末の懇親会は先生の発案で「ごまめ」の私がちょっと変わった海外のお料理を出すお店を探して幹事をするのがお決まりで。

自分の大学の同級生とよりは少し年齢が離れたお兄さんお姉さんであるこのゼミの先輩にも先生にも本当にかわいがってもらって、居心地のいい、学問って楽しいなぁと思えるのんびりした時間をいつもいただいていた。

夕方、夕日が小さな窓からさしてくるのをかんじながら、数百年前の人の思いを汲み取る時間。
それを古びた多くの本が見守っている。

本を多く読む人というのは、見てすぐわかる。姿勢やスタイルがもうそこにあるから。
集中して先生や先輩が本を読む姿が似合う空間。思索の引き出しを引き出せるような空気。そしてなによりも、静寂。

私の行った大学は新しくて、研究室も何もかも無機質だったから、この大きな歴史のある大学で知が重ねられていくのを感じられたことは何よりも幸せだったと思うし、そのあとの人生にもひとしきり影響を与えたのではないか、と思っている。

このブログを書く理由。

2012-05-12 20.25.24

初めてブログを書いたのはいつだろう。まだ21世紀になりたての頃だったんじゃないかしら。あるサイトの「公式ブロガー」としてはじめたのが実はブロガーデビュー。

まだブログって何?位の時代で、私の方が面白いことかけますけど(笑:強気ね)っていう感じで応募した。

オフ会、なんて単語はあんまりまだ使われていないし、一般的ではない頃だけれど、地域のいわゆる大きな事業会社と広告会社が組んだ結構新しい取り組みだったから、私たちは自然発生的にオフ会もしていたし、お題を決めてリンクしあうとか、広告会社が営業で取ってきてくれた会社の商品宣伝ブログも書いていたし、それでいいホテルにも泊まらせてもらった。

一緒に会社を立ち上げることになった人にも出会うことになったのもここだった。

事業がぱっとしなくなったので数年後、ブログは別のところに移設されたのと私が個人で仕事を始めたり、会社を作る時期が重なったのでそこからまた無料のブログに移行した。今度は公式とかじゃないけれど、営業のためだったり、生徒さんのためだったり、自分のブランディングみたいなことがいわれ始めた頃にはブログでそう言うことをやっていた訳で。

だから、炎上も嫌がらせも応援してくださる人のこともひとしきり経験している。

インターネット集客に詳しい人が仲間だったこともあるから、その手のノウハウもある程度なら知っているし、自分でホームページもブログも素人っぽいけれど一応作れるようになった。

自分の思いを綴る、というのがやめられなくて、結局それはそれで続けているのだけれど。

私の書くものはどうしても自分のテンションが移っているせいか、悩みがただたんに多かったからなのか、そう言う「私に似た」と感じてくれる女性の読者の人が常に多くて。ただただ自分の悩みや考えていることを綴るだけで、「前向き」でも「明るく」もない、ただただ「心情の吐露」をしてたような気がする。

自分の今の生き方やありように多少なりの疑問を呈しながらひっそりと生きている人というのは少なくない、ということで。

だから私みたいに、前向きでもなければ明るくもない。解決する訳でもない思考の中で表に出てきたものをただ整理するために出したものを読んで「あぁ、私一人が疑問をもっていきている訳ではない」と思ってくださっているのなら何よりで。

私が学生時代から姉と慕う人のFacebookのタイムラインで大手の雑誌で新たに連載をされるおそらく姉の同級生の方の書き込みを拝見して、このエントリーを書いている。

その方はある人に、「何、伝えたいの。何、したいの。読んだ人にどう動いてもらいたいの!」といわれたことが今回の連載にすごく役立っていると書いていらして。

会社の営業用でも何でもないこのブログに私は何を意味付けるのだろう、どうしてまた書くの?と改めて問い直すことになった。

今回のブログはただの心情を吐露するブログ、という訳でもない。その時、私のブログを読んで自殺を思いとどまったという読者の人が私のブログが広いネットの上にある灯台だった、といってくれたことをふと思い出した。

世の中がますます単純化されて、今目の前にある問題だけがクローズアップされて、俯瞰よりも凝視することばかりに社会が執着している中で、私はもう迷わないけれど、気付いたことのほんの一部分を共有する。こんな風に考えると、見えるものが変わるよっていうことをここにおいておきたいと思う。

そうすることが、周りに話す人も考えを共有できる人もいない人に届いて、本人が何かに気づいたり、安心するきっかけになれば良いとおもう。

私は2冊本を出しているけれど、自分の想像もしないところで深く自分の思いを汲み取ってくれる読者がいることを知っている。顔を見ることも名前を知ることもないけれど、そんな誰かの変化のきっかけをこのブログが担ってくれるならそれはそれでとても幸せなこと。

そのために気負わず、自分の思考と分析の成果の一部を自分の忘れたくない記憶と織り交ぜながら語るように綴っていければと思います。

それが新しい人生、vita illuminata 。

一年前

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一年前の今日、私はこの国にくる準備をしながら、どうしてもいかなくちゃとおもっていたところに行っていた。

どうしても、日本を離れる前にいかないと。
そんな気分で。

ボタンの咲く神社の脇を通り、何時間かけて登ったろう。
道中に小学生の女の子がずっといて行き交う人に何度も何度も「こんにちは」と挨拶して回り、先に登っては「おかあさーん、早くー!!」と呼ぶ姿を見ながら、運動不足だし、不健康な身体でぜいぜいいいながらやっと登りきった。

山頂では座り勝手の良さそうな岩を見つけて20分ほどだろうか、瞑想もさせてもらった。すごく清々しい気分で光が満ちていて。

ご祈祷もあまりお願いすることはないのだけれど、どうしてもしたくてお願いする。
この神社は山自体がご神体なのでご祈祷のするところからも山が見えて、改めて今回無事にお参りできたことを感謝した。

その数週間後から私はこの国に来て、もう一年になる。
思えばあの時から、何かがピンと始まっていた。この国でするべきことも、あの時抱いていた気持ちも目標もなんだか全部するりと自然に変わってしまった。私という外身は同じだけれど中身はいい感じに入れ替わった気がする。

それは大局的にいうと私の願いがかなっているともいえるし、カミサマノイウトオリ、入れ物としていきたいという自分になる第一歩を踏み出せた一年だったともいえる。

大物主さまが私にあの時託したことを、私はちゃんと汲み取って行動できただろうか、大丈夫でしたか?と山にあがってお伺いしたい。

私の願いを聞いてくださって見守ってくださってることに改めて感謝の気持ちをお伝えして、次のお役目を仰せつかりにいきたい。

引き寄せるんじゃなくて。

2014-04-29 18.44.48

言い方の問題かもしれないけれど、最近は「引き寄せ」が大流行りな感じ。
「なりたい自分」も「お金」も「恋人」も。

「引き寄せる」という言い方だから「ハウツー」ものになるし、グッズが売れる。(別に否定してるんじゃなくて、分析です)

前にも書いたけれどスピリチュアルなことにしてもなににしても「事象」は同じで「解釈」の仕方の違いなのだ。だけれど「引き寄せる」という言葉を使うだけで思考が停止して、その方法を聞きたくなるのだから、やっぱりみんな自分の経験値を通して考えるよりも出来合いの解釈がコンビニエンスなのだなぁと思う。

じゃぁ、どんな「事象」または「行動」をして「引き寄せた」と行動する人自身が解釈するのだろうかと思う。何かの行動をした結果、望むべき結果が得られた、またはそのきっかけになる事柄が起こった。っていうことだろうと思う。

その「事象」とか「行動」が「引き寄せる」というのは何を根拠に引き寄せるのかというと「良い行い」であったり「周りや自身が喜ぶこと」。

平たくいうと「あったり前」なことなのだけれど、私自身も含めてそう言う話が好きだ。(そう、私も基本的に好き)

ただ、あまりにも単純化されているし、同じ論法しか続かないので正直飽きる。体験談とかもそんなに変わらないしね。そうなの。この辺り、宗教に人々が求めたり、最近のお坊さんたちがFacebookとかでやっていることとあんまり変わらない。

いつも思っていることは真理というのはたった一つでその説明の方法が違うだけだからどれが自分にフィットするか、ということだけなのだということ。自分の脳みそとか理解力とか知的水準とか感情とかに何がマッチするのかということ。

俯瞰してみたらどれも変わらない。

とはいえ、なのです。

じゃぁ、神の存在とか宇宙の存在は?とか、自分に彼氏ができたわけは?急に金回りがよくなった訳は?仕事がうまくいかない理由は?

「引き寄せ」とか一つの宗教だとあらゆる事象への普遍性がない気がする。だから無理くり解釈する。

神様や宇宙を感じるのにそんなフィルターは何の役に立つのだろう?説明できないことができたときに、考える能力はいつ養うの?

説明できないことが起きたら、解釈が間違えてた、って思うはずだもの。少なくとも私はそう思ってた。

ちゃんとアンテナがたっていれば、その方法論で説明できないことですら、確信に変わることがある。それは自分がずっと直接対話してきたからこその経験値なんだよね。

なんとかコンサルトかもそう。私みたいに隙間な仕事なのに、方法論も経験値も人と違っていて、大局をみながら仕事をしたり生きていると全く話が噛み合ず「??」って感じで3分で失敗したなぁって思う。そう思っているのはコンサル側で、私はそこにそぐわない自分にだめだししてた頃があった。

そんな経験がいくつも重なると、方法論って何なんだろうなぁって思うに至る。
そのメソッドにはまらないことは間違いなのか、例外なのか。でもそれだって真理の一端かもしれないのに?当てはめることが目的になったら、本末転倒じゃないかしら。

引きよせっていわなくても、自らの心身を浄化して良くなってる人もいるし、他人のふんどしを「再解釈」して「引きよせている」ということもあるだろう。

いずれにせよ。
その中で「本質」だと自分が思うものを「方法論」によらずにつかめばいいことなのだろうと思う。運命の人でもお金でも仕事でも。

そのために自分が磨くべきものは、パワーストーンだけじゃないはず。

郵便局。

2014-05-02 16.29.21

小さい頃からお手紙が好きだった。

お手紙を書くのももらうのも。

子供の頃住んでいたお家の小さな赤いポストを何度も何度ものぞいたし、
郵便局のおじさんのバイクの音まで聞き分けられるぐらいの子供だった。

郵便が好きなのか手紙が好きなのか、その頃はわからなかったけれど。

この国に学生時代にきて、近所と学校以外で最初に親しくなったのも郵便局の配達員のおじさんだった。

おおよそ文明的なものからかけ離れた世界で、彼のもってきてくれる手紙や小さな荷物こそが、私のささやかな楽しみだった。

とはいえ、そのころの郵便事情はお世辞にも良くなかったから、送ってくれた手紙だってどれだけ届かなかったかわからない。

それでも、家で何もしていないときは店の前のベンチに座ってぼんやりとおじさんが来るのを待ったものだった。

そう言う訳で子供の頃から郵便が好きなせいか、郵便局に行くとなんだかわくわくする。

何万通もの思いが乗った物だとか手紙が世界中に行くと思うとなんだかたまらなく楽しい気分になる。

楽しい気分でいくからなのか、だいたい郵便局には顔見知りになった仲のいい局員が数人いる。ちょっと世間話をしてみたり、なんだかいろいろ。日本にいると郵便局の代わりにクロネコヤマトの配達のおじさんやお兄さんと仲良しだったけれど。

私がはじめにこの国に来た頃はインターネットなんかもなかったし、どこでも国際電話がかけられた訳じゃなかったから、そういう大層な用事のときにはこの写真の中央郵便局にこないといけなかった。

この天井が高い、古き良きこの国の西洋建築の名残を残した建物は昨年までは通常業務に使われていたけれど、今はそのほんの端っこだけを改装して業務に使っている。

改装が終わると大層な飾りもついちゃったからちょっと感じが変わったけれど、中はあまり手を入れていなくて、おしゃれな窓飾りだとかもそのままに今の業務しているところからもみることができる。

誰かと話したかったり、気持ちを伝えたかったりという意味では古い郵便局には大きな古い駅がもっているようなセンチメンタルな感じがあるような気がする。駅は実際に自分がどこかへ行ったり、相手が帰っていったりするためだから余計センチメンタルだけれど、「物」や「手紙」に思いを託す雰囲気と、駅よりもシステマチックにハンコをばんばん押す音だとか、荷物をがちゃがちゃと積み込む様子が駅とは違った旅情的なものをかき立ててくれる。古い郵便局ってそう言うざわめきをもっていて。

今みたいにあっという間に誰かとつながれる時代、それはスピーディーだし確かだし。とても有り難いんだけれど、古いこの大きな郵便局に来ると、「どうかこれが無事に届きますように」そんな気持ちで投函した、届いたかも返事が来るかもわからないでいた気持ちをふと思い出していた。

声・息・魂

2014-04-25 15.57.58

高校生のときに【声が大きすぎる】と親しい友人に言われて以来、無自覚に声を抑えるようになったような気がする。大きな声の人に元気でない人はいない、という話を聞いたけれどそれは真なりで、そういう風に言った友人は私の過多と言えるほどのパワーが疎ましかったのだろうということがずっとずっと後にわかるのだけれど。それはそのときには与り知らぬことで。

とにかく。声を出す職業なのに声の問題に悩まされてもう10年以上になる。

30代になって入退院を繰り返す原因となった持病が原因だとおもってきた。どんどん話すのがおっくうになり、マイクがないと講義も立ちいかない。本当に目の前にいる人に「聞こえません」といわれる経験を何度となく繰り返していくと、話すのだけではなく、誰かと接することすらいやになってくる。

仕事のクオリティーが保てないので、大きな通訳の仕事は数年前を最後にやっていない。声が通らない通訳なんて仕事にならないのだから。

この国の言葉を教える際にのどの使い様、声の出し方をきっちりと指導できるのになぜか自分の日本語の問題はクリアできない。そんなおかしな状況が何年も何年も続く。かわいい声だと言われるけれど、自分の声は品がないような気がして、全く好きになれなかった。営業トークみたいな声だから。考えてみたら、かなり自分をガードして話してたのだから営業に少し通じるところもあるね。

話すとのどが頻繁に痛むようになったのもこの頃から。喉が腫れる。話したくなくなる。

むりくり話すから、声を出すためにのどがきゅっと締まっているのもわかるようになってきたけれど、何をどうすればいいのかわからなかった。

のどはコミュニケーションを司るチャクラだから、ここが閉まれば当然、コミュニケーションにも難がでる。そんなことはわかっていても、それをどうにかしたいという魂の力強さにかけていたのかもしれない。

瞑想をしたり、体中に気を巡らせても【のど】や【声】の問題と連動させることがなかったのも無意識に避けていたのだろう。それをあることがきっかけでどうにかしよう、と思い出して。

おかしなもので【仕事で使う】という目的での改善は身体がどうやっても反応してくれないのだけれど【息】という生きることと少しずつ連動させていけるようになったところで「声磨き」のセミナーがあるというので参加することにした。

声が出ない原因、身体を共鳴させられていないこと、声という「音」と「呼吸」が連動していないこと。身体に力が入ることで、身体が響かない、声が聞こえづらくなるという話にはなるほどと納得することがあった。

自分の声の力をイヤな形である意味封印されてから、声のパワーを無視してきたように思う。

セミナーの間にふと、ある人のことを思い出した。マリアさんという私が出会ったときにはもう70歳を超えたおばあさまだったけれど、彼女はクリスチャンで日本で最初にオーラソーマをはじめた人。彼女は縁あってこの国にきたことがあって、その昔話を聞くことがきっかけで何度か彼女のセッションも受けたし、自宅にもお邪魔した。

彼女はこの国にきたときに、とある有名な寺のそばでお坊さんたちと知り合いになり一時毎日おそらく時の僧正たちと毎日食事をしたり会話をするのだけれど、それでお経も覚えたのだという。何十年前に覚えた彼女の唱えるお経のパワーといったら。小さなやせたしわくちゃの彼女からは想像もできないような地に響き渡るような魂からの読経だった。小さなお部屋で聞いた彼女の普段の声とはかけ離れた声に圧倒されたのを覚えている。

宗教寺院の多くで祈りの際に線香のような煙の立つものをあげるのはその煙に沿って願いが神に届けられるためだと言う。声だってそうであるはずだ、ということに気がついていく。

声は気であり、気は魂の発露だと言う流れが理解できた私の声は、営業トークのような声ではなくなってきたように思う。ふわりと自分の声を柔らかに身体に響かせられるようになるまであと少し。

クリアであること、敏感であること。

2014-03-29 17.25.29

ある出来事の意味付けは自由だ、と思う。

『ただの偶然』と思うのか『メッセージがきたよ』と思うのかもそうだと思う。

起こる出来事のすべてに意味付けをしていると、窮屈だしただの面倒なちょっと危ない人になってしまうけれど、あとから『さっきの出来事はこの暗示だったな』なんて言う気付きは多少ならずともあるのではないかと思う。

そんなのこじつけ。そう思う人はこの先を読んだって楽しくないと思うのだけれど、『そうとも言える』と思った人には少しなりのヒントになるかもしれないこと。

クリアにいるというのは自分の問いかける内容もそうだけれど、素直に気付けるための精神状態が大事な気がする。中庸で森林で深呼吸したような安堵感みたいなものがあればなおいいと思う。

『願い事を叶えるためには、本当に願って、その実現を信じたら一度忘れることだ』
そう、とある本に書いてあって。

その心は、その願いがもう自分の中で当然起こるものとして、自分の中に日常あるものとして落とし込む。日常当たり前にあるものだから、敢えて引っ張り上げないし、ずっと抱きかかえない。この解釈にも通じるところがあるような気がする。

そうやってクリアでいると、何らかの知らせはくる。人間ってそういうことをちゃんと感じられるように作られているはずなのに。(以下自粛)

私は何もそれで感じたことをすぐに実行したり信じたりしなくてもいいとも思う。でも、うっすら自分が『これは多分だめ』とか『大丈夫』と知っていることこそが敏感であるということなのではないかなぁと思う。

うっすらとでもいいから、それを感じてさえいれば不用意なサプライズがない。ということは、心の準備ができているからいつでも対応できる自分になれる。

多くの経営者が禅や瞑想をする理由の一つはここにあると思うし、こんな風に自分の生活や仕事に生かせない禅や瞑想はやっていないに等しい、己にも社会にも資するものにはなりはしない。

世の中には占星術やカードやいろんなものでそういう意識を引っ張りだしたり、意味付けすることも今や一般的になっている。私も延々そういうのにはまってきたし、価値を置いてきた。それで無理くり流れを作ったり意味付けをしたりもした。

占星術に関しては今もお世話になっているが、自分で星の配置を読み解くだけの能力がないので4人ほど意見が違うプロの解説を全部見て、自分なりに見ることにしている。そうすると、読み手を怖がらせたい人、楽観的な人、いろいろな要素がうまく混じりあってちょうどいい感じの頃合いになる。

敏感さにバイアスを持ち込みたくないと思ったときにこの方法を思いついた。これもふありと降ってきた直感。
これが良いという意味付けも、いやいやだめだという知らせだと言う判断もすべて自分の心の奥底が本当はその決定でいいのかって知っているということに気がつけるか。気がつけている自分でいたいといつも思う。