言霊の力

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年末から年が変わる頃にかけて、言霊の力を大切な人たちから味あわせてもらった。

「言霊 ことだま」をウィキで検索すると、
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。

とある。こういった価値観が古来から日本人的な有り様としてDNAに組み込まれていた事を示すような神話や神道の考え方は今もって数多く散見される。信仰や日本的なものへの愛着に関わらず、はやりの「思考は現実化する」事や「引き寄せの法則」なども日本人のこういった精神性にフィットする説明なのだろうと思う。

私も言葉にまつわる仕事を長くしている事もあり、そういった事例を自分だけでなく周りも含めて見てきた事から、「神が宿る言葉」という事について考察を深めてきた。

読経や大祓を奏上するときに降りてくる言葉のパワーは呪力に近いものであり、それは言語学者金田一京助が『言霊をめぐりて』という論文で言霊観を三段に分類し、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」「祖先伝来の一語一語に宿ると考えられた言霊」とし、それぞれ「言語活動の神霊観」「言語表現の神霊観」「言語機構の神霊観」ということに相応しいと記している。(前述wiki参照)という分類に照らすと、「言い表された詞華の霊妙を讃した言霊」に当たるものなのだろうと思う。

般若心経であっても、パーリ語の経典であっても、また祝詞であっても、その根源にあるものは日常からかけ離れた「聖」なるものに人間が奏上するという行為を通して「自ら」触れる、味わうという体験であり、それを完全なものとするために日本の神道などでは誤読を厳しく戒めている。

今回私が体験したのは、「言うことそのままが即ち実現すると考えた言霊」というジャンルに入ると思う。

私は意識的にそういう言霊を大切なとき、大切な人に届けるようにしている。もちろんそれがエネルギーとして通じる相手とそうでない相手がいるのは波動だとか色々なものに原因があるのだろうと思う。

とはいえ、私はその言霊を送るとき、「言霊」が相手にきちんと届き、その言霊によって発せられるエネルギーが良い波動を相手の中で発し続ける事だけを願う。それが「言った事そのまますなわち実現する」という事なのだと思う。

大切な人たちによって私に届けられた言霊は、その場の空気が一変するような、今時の言葉?でいうと私にとっては「爆弾発言」だったし、その届けられた言葉のエネルギーの大きさにぐっと自分の足に力を込めて受け止めるようなものだった。

私は、自分に向けられた良いエネルギーをまっすぐ素直に受け止める事が苦手で、それは私の根本的な性質でもある。私が大切な人に届けるような「言霊」のエネルギーを今回は自分の大切な人から届けられ、それをわりときちんと受け止められたのではないか、と思う。

私は周りに何かを求める事は極力最小限でいられたらと思っている。それは大切な人であってもそうでなくてもそう。そうする事で全てが「有り難い」ことになるし、相手から自発的に与えられることに感謝できる自分がいるから。

そんな風に毎日を過ごしている私に、相手からの「言霊」という形での相手の中で蓄積された自分への思いを感じたとき、場の気が一変するのを感じた。

私を取り巻く気が一瞬にして、深遠な愛情を含んだ、明るい未来を包含した波動に変わったのだ。

それは私の中で、まったく新たな経験として「世界が変わる」ことを予見させ、今までの道のりが間違っていなかったことを神意として感じるような出来事だった。そうやって私の2015年が幕を閉じ、2016年が美しいスタートを切り始めたと感じている。

 

新年のご挨拶

2014-06-22 09.34.27

もっとブログをたくさん書けたらと思うのですが、気づきが深く言葉になるのに時間がかかっているような気がしています。

皆さんにとってこの一年はどのような年だったでしょう。

私にとっては幸せだけれど、数年で稀に見る移動の少ない一年でもありました。

フットワーク軽く生きてきた私にとって、想像以上の大変さがありましたが、そんな毎日の暮らしの中で、たくさんのことにも気がつけた一年だったようにもおもいます。

今まで少なくない年数を生きてきて、今年初めて鏡に映る、写真に写る自分の顔をよしと思えるようになってきました。

公私にわたり、ぶれる事なく自分のありうべき「美」に忠実でいる選択をしてこられたからかもしれません。そういう意味で、今までと違う強さや許容するという事を身につけてこられたような気がします。

絶対的な絶望とともに生きる事からようやくきちんと抜け出した、という方が正しいのかもしれません。

今までのようにいつも身を浮かして、いつでも所在なくいた私がでっぷりと居座る事はできませんが、もう少しエレガントにその場にいられるようになったと言っても良いのかもしれません。

そういう安心感が無意識にまで浸透し、何かあっても悠然といられるように少しずつ自分を変えつつあります。

いろいろな推論が確信になる過程の中で、たくさん語り合い、気づきを共有しあい、未来や世界を見通しながら思索を深めてもらえる相手がいてこその変化だとも思います。

宇宙や世界、そして私たち人間の全てを織り成す原則への深い思索と理解がこの一年の私を美しく磨き上げてくれたのだと思う一方、パートナーに尽くすという具体的な行為を通して、その行為から生まれる全ての結果、それを認識し、感謝してくれる事によって、自らが理解され、認められていると感じる事も自分を豊かに美しくしてくれたと思っています。

私自身が良い波動の発信源なのですから、洗練された美しい調べとしての言葉や行動、身近にいる人から遠く離れたところにまでその美しく力のあるエネルギーが届くように、2016年も自らを浄化し、磨き上げながら存在していこうと思います。