再定義

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子供の頃、物心ついた10歳の頃から日記をつけていたという話はもうすでに書いたかもしれない。

その時に綴っていたことなど本当に些細なことなのだけれど、隠れたテーマは【孤独と淋しさ】だった。家にいても学校にいてもいつも孤独だった。周りの友達はそんなこと全く感じていないような風だったし、もちろん誰かにはなせることでもなかった。

孤独なんていう抽象的なことで表現できないから、クラスの誰かが好きかもしれないとか、そういうイメージみたいなところで「淋しくない状況」みたいなのを想定していたりしたように思う。小学校低学年のときに好きになったF君。彼のことは全く覚えていないけれど、お母さんのことをよく覚えている。女性の割には大きくてやさしいお母さんで、学校に来ているのを見つけては彼のお母さんに抱きついていたから、彼よりもきっとお母さんが好きだったんだろうと思う。

学校や家でもいつも淋しいという思いと一緒にいたと思う。

孤独だとか淋しさなんて自分で起こせる感覚ではないから、きっと何かそう感じさせる経験が記憶の奥にはあるのかもしれない。でもその根源はわからないままに私は自分の中にしっかりと【孤独】というものを認識していた。

小さい頃は自分の中にある孤独が暴れだして、自分でも手が付けられないような感じでいたことをうっすらと覚えている。小学生の高学年の頃は包丁を持ち出しては「死にます」って言って騒いだことも一度や二度じゃなかったと思う。自分じゃない何かがどうしようもなく泣きわめいて無茶をしているような感じだった。

「死ねるもんなら死んでみろ」と父にいわれたことを今でもはっきりと覚えている。死にたくなかった、というより、その勇気がない自分にふがいなさを感じた。
学校でも家庭でもそういう風に行動せざる得ないでいる私のことを理解してくれる大人などいる訳もなく、成長するにつれてそんな風に発散することもできず、ただただ日記にその思いを書き散らすようになっていった。

時代的にいじめが社会問題になる頃で、学校ではひどいいじめも受けていたから、あまり目立たないようにびくびくしながら生活していた時間も長かった。ひょんなことでものすごく驚くのはもしかしたらこの時の名残かもしれない。

家庭も厳しい家だったので、共働きの両親が帰ってくると緊張していた。何に叱られるかわからないので、家でも親の前にいる時は緊張して、びくびくしていた。叱られないように先回りして行動しておくようになったことは今となれば有り難い。

孤独と淋しさのあまり不意に感情的になったり不安になることが多くて、誰かといればそれが解決するのかと思っても、淋しくなくなるどころか余計淋しくなったり、淋しさからくる感情の起伏が喧嘩の原因になったりして上手く行かなかった。

大学生のとき、真剣に「孤独」と向き合ってみようとたくさん本を読んだ。その中の一冊、串田孫一さんの「孤独の生き方」という本を読み終えたとき、孤独というのは自分の存在そのもので、死ぬまで内在し続けるのだから、うまくいなしてつきあわないと仕方が無い、と得心した。

思えば、子供の頃からいじめられたり、家でも緊張して暮らしていたり、留学するといっても一人誰も関心のない東南アジアに行くし、留学先ではお妾さんの家で所在ない思いをするし、いろんな人が集まるアルバイト先ですら宇宙人って呼ばれていたぐらいだから、どこかに帰属している、仲間であるという意識がうまく持てなかったのかもしれない。

孤独というのは常に身の回りにあるものだという発想の転換は淋しさの代わりに、「一人生きて一人死ぬ」みたいな感覚をものすごく強めていったように思う。もともと、帰属意識が希薄だから「私がいなかったら上手く行くはずなのに」と考えがちなところに「人は皆一人」みたいな意識がつくと、人間関係についてはあきらめが早くなる。身を引くということが苦でなくなるのである。それは帰属していない、という意識や自分の能力や存在を卑下していることからきたものなのかもしれない。

あまりの引きの早さに、「引き止めてほしいが為に、思い通りにしたいがためにそう言っている」といわれることもあったけれど、自分は所詮一人で、枠外の人間だから丸く収まるのならそれが最善ですと素直に思えた。私はそんな駆け引きのテクニックが使えるほど賢い人間でもない。それは当時も勉強していた仏教の手放すということをよしとする教えに深く共感していたからかもしれない。

だからだろうか、離婚してたった一人の戸籍になった時、安堵のような感覚を持っている自分がいた。一人でいるということは孤独であっても何より疎外感を感じなくてよい。

「淋しい」という感覚を持ってからかなり長い時間をかけて孤独と向かい合い、葛藤してきて、共存するようになった。

孤独とうまく共存していくと、孤独とは自己との対話だと得心したのでずいぶん孤独を楽しめるようにもなっていた。他者との何かを深めたり帰属することを求めなければ、比較するものがないのだから孤独を感じる必要すらない。そのとき、私にとって孤独は淋しさを生むものではなくなったのである。

誰かといても孤独感を持ったり、淋しいという感情は生まれる。大切な誰かと離れても淋しくなるが孤独感は生まれない。この差異は一体どこから生まれるのだろうか。

一人生きて一人死ぬという孤独をいくら受け入れても、自分が崖っぷちに立っているような感覚に陥る時が全くなくなることはない。孤独というのは魂が安堵する先があるかどうか、なのかもしれないと思う。心から愛する人でも信仰でも魂を安らがせる存在があるということが、物理的に一人であるということを超えて魂を落ち着かせる。いくら隣に誰かがいても、魂を安らがせられないのであれば、人は孤独なのである。

淋しさというのは結局は過去に体験した温かな何かを渇望する感覚なのだろうと思う。人が人と暮らすときに必然的に生まれるぬくもりは誰もが知り得るはずの原始的な感覚として、人間にインプットされている。孤独よりももっと肉体寄りの自分ではない誰かの暖かさやぬくもりを感じることで得る幸せを求めているような気がする。

孤独に慣れることで孤独から解放されるような気がしていたけれど、タイトルを「再定義」としたとおり、孤独ではないという時、その魂は安らいでいられる状態をいうのだ。魂が愛で満ちているような。

孤独に慣れてしまっている私は、当初その変化に戸惑っていたように思う。当たり前のようにあった不安感を持たないで目覚める朝はなによりも穏やかだから。それは幼い頃から経験したことのないものだったのだ。

人は一人生きて一人死ぬ。確かにそれは変わらない。組織や家庭の枠の外にいる人生も変わらないだろう。だけれど、孤独でなくこの世に別れを告げられるのなら満たされた人生だったねといえる気がする。

想像力の働かせ方。

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仕事をし始めた頃。失敗したりした時の想定が不十分で対応が後手に回ってしまってひどく後悔するということを何度となく経験した。

学生時代「賢い女は不幸だ」といっていた頃があった。女子大に進学したおかげで回りに女の子がたくさんいたので、彼女達と話していて分析した結論だった。賢い女は想像力が逞しく、計算力に長けているので瞬時にメリットでメリットを見定めてその状況にいくのかいかないかを決めてしまう。それは好意を持った男性とかにも当てはまることで、脳内でシュミレーションして想定して、「ヤーメタ」となったり諦めたりする。

そういう周りの女性達はたいていとても頭が良く、しっかり者なのだ。(私のリサーチでは美人率も高い)私自身はいつだってチャレンジャーで、「やってみないとわからない」と思って行動することが多かったから、不細工でちょっと頭が悪い私は、どちらかというとその逆だった。だからよく「ばかでよかった」、と彼女達にもいっていた。

失敗は多いけれど、後悔はない。そういう人生を歩いてきたように思う。

恋愛やプライベートではそれでかまわなかったとしても仕事ではそうはいかない。特に、大学をやめてフリーランスになった頃から私は脳内シュミレーションがどんどんと上手になっていった。

もともと心配性だから、「上手く行かなかった時」のことを考えるのはお手の物である。それに失敗する要素やタイミングでどれくらい何に影響があるかを考える。仕事をしている人なら少なからずやっていることだろうと思う。

自分が会社を立ち上げて、仲間ができたときには嬉しくてなんだかそこをうまく考えていられなかったような気がする。だから、最初三人で立ち上げたはずの会社に、残ったのが私一人になった時、私はいい感じにどん底な状態になっていた。

この想定が一番底辺だ。今ここが一番最悪でひどいんだ。何度思ったかしれない。だけれど、底なし沼のようにその状況はどんどんと想像を超えてひどくなっていく。

落ちていくきっかけなんて本当に実は些細なことだったのかもしれない。だけれど想定の範囲をどんどん超えていく中で自分に残された選択肢がどんどんと秒読みで少なくなっていくのを体感していた。それを感じるのと同じぐらいの勢いで不安感が増していくのだから、前向きに考えるなんてことはおおよそできずにいた。

そんな中で、義務や義理としてこうしておかなくては、とかこうすべきだ、こうしておきたい、と思っていたことがどんどんと自分の手に余っていった。生きていくのも困難な中で何を誰かにしようと言うのか、と今なら思うけれど、どれほど自分をせめても自分を許せないでいた。

生きていけない、って言うのはすごく切実だから、無理矢理そこでどうしても手放せなかったものをどんどんと手放すようになっていく。ある意味、図太くなっていく自分が生まれたのはここからだと思う。

孤独な中ではじめて胆が座ったというか、相手に遠慮ばかりする自分がいなくなった瞬間だったと思う。

心配性だけれども根は前向きな自分が軸を立て直して、生きるための選択をしていったのかな、と当時を振り返って思う。
それからはできるだけ論理的に積み重ねた「根拠」を積み重ねることによって感情に振り回されない、周りにも振り回されないシュミレーションで、自分を鼓舞し、周りも鼓舞しながら結果的にどんどんと前に進めるようになってきた。

それぐらい、身軽になって、胆が座っても状況的に厳しいなぁということがやっぱり突然やってくる。もしかしたら突然、ではなくてむしろ自分を鼓舞できなくなるぐらい打ちのめされてたり、状況を前向きに捉えられなくなったことがあった。

最悪の想定が「社会的」なものであってももちろん当然のことながら「プライベート」にまでその余波が起きる。いくらいろんなものを捨てきって笑うぐらい身軽な私でも、イヤそんな私だからせめてここぐらいは・・・、みたいに守りたいものだってある。後ろ盾もない孤立無援な状態で、それが守りきれなかった時のことを想定すると、浮かぶ結論はたった一つしかなかった。

そんな最悪の想定をして自分を痛めつけても、最善の何かは生まれない。そこで生まれたたどり着く唯一の結論への道のりはその道程がどのようなものであれ、そこに一直線に進むのだ。だからもうその時は、潔くその漆黒の闇に身を投じて受けるべき裁きを受けるけれど。でもその一直線の道に入るまで、状況が変化しうるところでそんなに自分を痛めつけても百害あって一利無しではないか、と思うに至った。

諦めないで、上りたい階段を必死に上ろうとするために前向きに想像力とシュミレーションをしつこくできるかどうか。それを冷静に論理的にできるのか。不安と希望のどちらを選択するのか。

諦めるためではなく、奈落に落ちるためではなく、行きたい世界に行くために自分の想像力を使わないと。

のびのびしているっていいね。

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私のこの国でのニックネームは「ねこ」という意味なんだけれど、そうなったのはずいぶん昔に私より一回りぐらい若い男の子と知り合った時のこと。年若い彼が知り合ったばかりの新しい友人でかつ年長の私にいろいろ気を使って「あぁしようか、こうしてあげようか」ってひっきりなしに連絡してくるのが面倒くさく、「嫌だ」「嫌だ」と自由奔放にいっていたことから、それがまるでねこの鳴き声のような音のつながりの言葉なので「ねこちゃん」と呼ばれるようになったのがきっかけである。

猫っていうのは犬よりもだいたいにしてのびのびしている。自分基準で、自分の快適さを追求しているように思う。犬みたいに飼い主にぺったりと愛想を振りまくこともあまりない。

「名は体を表す」というけれど、それは本当なのかもしれないなぁと思ったのは、私を「ねこちゃん」と呼ぶ人に対しては普段の私よりもずいぶんはっきり物を言うし、嫌なことは「イヤ!!」と言う。こういうことは日本語の名前で呼ばれる環境よりもかなりあからさまにその傾向があるような気がする。

語感がたまたまイヌじゃなくてネコだったから隠されていた性質が発露したのだったら、まさに無意識の中に猫っぽい自由さが刷り込まれた?なんて不思議な状況なのだけれど。

「ねこちゃん」というあだ名の話は刷り込み的なお話だとしても、実際、思い込みから解き放たれてからはすこしづつ、自分らしくのびのびしてきたなぁと思う。

いろんな方法で頭や精神を解きほぐそうとして、瞑想やいろんなことをやってみたけれど、魂がぎゅっと固まっていたなら本質までは届かない、「何か違う」と思っていることをみすみす見逃してしまうようなことがずいぶんあったと思う。そのころの私は自分らしく、ということが全く何のことか理解できていなかったんだろうとも思う。自分らしくいるよりは、なりたい自分やありうべき姿ばかりを追いかけて、自分が何を求めているのかに注意を払おうと全くしなかった。

その結果、いろいろな教えだとかで塗り固められた表面によってうちなる声が響かないようになっていたんだろうと思う、ずいぶん長い間。

小さい頃、自分が化け物のように感じていた。自分という化け物をギュウギュウと自分の奥底にしまい込んでおきたかったんだろうなぁとおもいだす。

のびのびしている、って言うのは自分の思いのままということで、押し込められる先であった「ありうべき姿」や「理解すべきコンテクスト」がないのだから。

そうやってのびのびして望む世界は、以前よりも明るくて、ナチュラル。
もう化け物はいなくて、ちっちゃい何もない私がいるだけ。

生まれ出た気分で、何だってできそうな気がする。

背伸びをしたその後は。

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日本で仕事をしていた時はいつもピンヒールだった。7センチ以下のヒールを履いたことがなかった。
自分の中で、仕事をするというオンモードとピンヒールはいつもセットだった。

ばりばり仕事をする自分っていうイメージにピンヒールは欠かせなかった。

この国にいると、ピンヒールは隙間のあいたブロックや微妙に広い鉄の網にさっくりと刺さったりはまったりして、ドアトゥードアの送迎付きでエレガンスに仕事をするのでない限りピンヒールをはくにはそぐわない環境。

だけれど身長も小さい私はどうしてもヒールが履きたくて、迷った結果、日本だったら邪道だといって絶対履かなかったウェッジソールをこの国で履くようになった。つま先からかかとまでが厚いソールなので、ささったりしない。

慣れてしまえばこの方がバランスがいいので引っ掛けたりすることもないし、楽なのだけれど、ピンヒールと大きく違うのは「背伸び」感である。

ピンヒールのいいところはいつもつま先立ちしているような、ふくらはぎがきゅっと締まる感じ。あれが辛いような身が引き締まるような感じでとてもいい。一方、ウェッジソールは視界的には同じだけれども、つま先も多少あがっているのでそれほどつま先立ちするような感覚ではなくなる。

前置きが長くなってしまった。

自分が変わりたいと思うときに、「もう既に変わった自分として振る舞う」ということをやってみると、技術的なことや記憶しないといけない、経験値がいるものではなく自分の性質や内面、習慣みたいなものは意外とそれで簡単に変わってくれる。

習慣化はだいたい2週間以上の継続で一つの山を越え、その後1ヶ月、3ヶ月と着実に毎日それに時間を費やしたりできるハードルがあがっていくと聞いたことがある。

私自身、この方法を使って少なからずいろいろなことを自分で習慣化させていけたので、人によってかもしれないが有用性はあるんじゃないかなぁと思っている。

振り上げた拳の行き場に困る、じゃないけれど「背伸び」をした後はどうなるんだろう、とふと思う。

もちろん、その「背伸び」がきちんと習慣化されて、ピンヒールを履いているがごとく毎日背伸びしていられたら、それはもう「ちょっと無理をする」というより「当たり前で自然」な常態なのだからそれで問題ないのだろうと思う。

問題はそうできないとき。「背伸び」していたかかとを知らずにおろしてしまっていたらこんな疑問もおこらないのであろうけれど、「もう足がしびれて痛い」「こんなに辛いと思わなかった」と思いながらまだ「背伸び」しているなら。

それは実は今の私の現状をうまく表している気もするのだけれど。
かかとをおろすにおろせないでいながら、全然それが慣れもしないし、誰かがその背伸びにフィットしたピンヒールを履かせてくれるのを待っているのだけれどまだ履かせてくれない。待ち人来らずなシンデレラ状態。

でも結局、ここまで痛みに耐えながら踵をあげてきたのに今おろしちゃったら、残るのは痛みだけ。

あともう一日、もう一日と思いながら、いつかそれが慣れるというか、ご褒美にピンヒール履かせてくれる日を待つのが勝負所なんだろうね。

申し訳なさとの共生。

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多かれ少なかれ、人生の中で自分のことを卑下したり劣等感に苛まれたりすることがあるだろうとおもう。

能力やテストの点数のように努力でどうにかなるものもあれば、美醜のように他人の基準だったり、経験値や知識の蓄積のようにある程度の時間をかけないとそれを自分のものにできないものもある。

いずれにしてもそれが自分の属性であることを受け入れてそれを向上させるか、劣等感として劣等感までも自分の属性としていくかは自らの問題であると思う。

ある程度長い人生を生きてきて「これを成し遂げた」ということをいくつも持つ人と、そうではない人がいるだろう。「成功体験」といってもよいと思う。

その「成功体験」の少なさが自信をもたせなかったり、自らの存在を卑下させたりするのであろうと思う。
私も今までそうだった。
いや、今でもそうなのかもしれない。

成功できなかったのは自分の能力の低さや運のなさや視野の狭さが原因だから、自分に帰するものだからそこについては望むとも望まざるとも自分で受け入れるしかないのだろうと思う。

だけれど自分の周りの人は、私のそれとは関係がないのに。

そんな気持ちがいつも身近な人に対して申し訳ない、という気持ちを持つ原因だったろうと思う。

簡単にいうと「自信がない」といえばそれまでなんだけれど、むしろ「こんな自分でごめんなさい」という感じでいる。

自分が大好きで、大事な人なのに、自分みたいな人間といることが申し訳ないなんて、あまりない感覚かもしれない。客観的に考えるとすごくアンビバレントな感覚だろうなと思う。

だけれどいつもこういう気持ちを持ち合わせていたなぁと思う。

理解しがたい感覚かもしれないけれど、基本的にこんな気持ちで誰かといたって幸せになれない。

わかっていてもどうしようもなかった。

そこから今、抜け出そうとしている自分がいるのは、やはり「信じる」という概念をここに来てがらりと変えられたからだと思う。「誰かを信じる」ということにはいろいろな段階があるかもしれないけれど、信頼という形で自分をなげうてたとき、それは回り回って自分のもとにやってくる。

申し訳なさでまた殻に閉じこもるのはそう言う人生を送ってきたら、そうしてしまうことの方が実は楽な選択なのだけれど、それをぐっとそのまま耐えることで、今までなかった「成功体験」のようなものが自分に生まれるのかもしれない。自分一人の時には耐えきれなかった何かを、信頼や愛情が一緒に支えてくれる。

ふと、殻にこもろうとした自分を何かが止めてくれる。
それは自分が孤独ではないという証でもある。
そのままの自分を受け入れてもらえているという安心感の現れでもある。

かといって、自分の過去の経験がぐっと素晴らしいものになる訳でも、成功体験が増える訳でも、見目形がよくなる訳でもない。

今ある姿を認めながら、ただ向上していくことだけに劣等感を使えるなら、それも悪くないのではないか、と思う。

受容と信頼

2012-03-04 12.14.32

 
最近になってようやく、信頼できることの素地ってなんなのかその鍵がわかったような気がする。

それは幾度も信頼関係を築こうとしながら、いや、築けていたつもりで実際のところ信を問われるような状況ではそのあたりが揺らいでいることがあらわになるといったようなことがプライベートでだって、仕事関係でだって少なからずあったように思う。

だから私は「信頼」という言葉が苦手で、「その人間関係にあった距離感で」「見返りを求めず自分が最善と思うことをする」という、あまり相手にコミットメントしないやり方を旨としてきた。

私が先ほど書いたようなコミットの仕方をするようになったのは、やはり「受け入れられない」感を感じることや自分と相手の何かを天秤にかけるようなことに疲れてしまったからなんだろうと思う。

人間はどうしても比較をするから、「私の方が〜だ」とか「相手に〜させている」みたいに思う時期があると思う。それが常態になってしまうと「慣れ」になってそれが「当然」になって「感謝」が生まれない代わりに「軋轢」や「不満」が生まれる。

私は「受け入れられない」感もその関係に「慣れて当たり前になる」ということも誰かとの関係で陥ることを警戒していたんだろうなと今思う。

それぐらい人間関係だとかに疲れていたといえばそう言えるのかもしれないけれど。

だから、親しげな部分とものすごく冷たく感じる部分が混在していることが見えてしまった人にはつきあいづらい人間だとも思うし、基本的に今でもその方針が大きくずれることはない。

だけれども、多少ならずともその「他人行儀さ」が私生活では問題になることもあったりする。近しければ近しいほど相手の「親密度」は上がるのだから、家族なんかが良い例かもしれない。何度「他人行儀な」と言われたかわからないほどだけれど、今となってはどう振る舞えば「家族らしい」のかもよくわからない。

誰にでもその人の「許容量」があって、それが自分に向けられている割合が自分の期待値よりも小さいと、自分の思いなんかは関係性からあふれてしまうし、期待値よりも大きいと相手が物足りなく思ったり、相手の存在を重く感じてしまう。

これはお互いそれぞれ環境や性格で全く違うからこれがぴたりと合うことなんてないんだろうとも思う。それに、ぴったりは合わなくても、「この人の許容量はこれくらい」と推し量ることでうまく付き合いができることもあるだろう。

そうやって「愛しすぎないように」とか「深入りしすぎないように」「迷惑かけないように」とか思っていることは関係にはうまく働くこともあるけれど、自分は満たされるのかというとそうでないことも多い。それだけでは済まず、関係性に気を使いすぎた結果、それが度を超して結果的に相手をものすごく怒らせることもある。よかれと思っていたことが相手に伝わらないことで、自分の本心が何を求めていたかなんて気にも留めなくなる。

拒絶だとか裏切りだとかを経験するよりもその方がずっと楽だし。
社会生活を円滑に送るためにはこれはこれで快適だ。

何かを信じようとした時、その根拠みたいなものを人はいつも求めると思う。それが確実であろうがそうでなかろうが。その根拠が「確実」だとか「本当」って思えたとき人は信じるという気持ちを何かに求められるんだろうと思う。

今まで私はその根拠がいつも弱くて信じるという気持ちがいつもぐらぐらしていたのは、「受容」というところにポイントがあったように思う。自分はだせるだけの許容量で最善を尽くすけれど、相手はどうかを見ないでいるということは、受容のバランスが完全に狂っている。

宗教というのが比較的簡単に人との関係を築くのが苦手な人々にとって受け入れられやすいのは「受容」されるという行程が省かれている(双方向ではなく、信心の一方通行でいいということ)ことともつながるような気もしている。

相手は受け入れるけれど、受け入れられているのか、それが本当なのかを見ないようにしているのだから、信じられるわけないのであって。

でも自分が満たされるだけの根拠を提示され、コミットメントを求められたら。

その伸ばされた手は、今までの経過が長く、様々な経験をしてきていればこそ、握るのに勇気がいる。また辛い思いをするかもしれないと思うとしっかりとは握れない。握っているつもりでも握力が弱いかもしれない。

しっかりとその手を握っていると感じられる(信じているとわかる)のはその相手の体温を感じるからで、手をつなぐという行為が信頼ならば、相手の体温を感じるということが相手を受け入れるということなのかもしれない。触れ合わなければ熱は伝わらないし、指を絡めることだってできないのだから。

もちろんもっと簡単に考えて、容易にできる人だっているだろう。

私自身はそうではないからずいぶんと遠回りしてたくさん考えてきましたが。
だからね、誰とでも手なんてつながなくっていいと思う。
でも、誰かの手の温かさを知って、手をつないでいられるっていうのは物の見方がずいぶん変わるよっていいたい訳で。

それまでわからなかった自分の親しい人への「他人行儀さ」加減だとかも、少しはわかるようになったりしたことで、見えなかった一面が見えてきたり。

覚悟をして渡った分、ご褒美として見えてくる世界は本当に自分を変化させるにふさわしい、何か。
そしてそれこそがきっと、求めていたものなんだろうってこと。

本当の目標を持って長生きをする。

2014-05-14 19.54.04

先日、あるウェブニュースで「長生きの秘訣は、運動や食事より「生きる目的」」という記事を読んだ。

カナダのカールトン大学で心理学を教えるパトリック・ヒル 准教授達の研究成果だそう。

〜引用ここから〜
研究チームによれば、(調査期間中に)亡くなった人々が報告した内容は、まだ生存中の人々に比べると、肯定的な人間関係が少なかったほか、人生の目標が低かったという。全体として、人生の目標が大きいほど死亡リスクが低いことが一貫して予測でき、若年、中年、老年の参加者すべてにおいて、同じ効果のあることが示された。そして、目的意識を見つける時期が早いほど、その効果は高いという。

「目的を持った方が長生きできるという予測が、若い人でも年配の人でも同じように成り立つことが証明されたのは非常に興味深い。これは、目標を持つということ自体に、長生きにつながる力があることを示すものだ」とヒル氏は説明する。

中略

2009年に行われたある研究では、人生の経験から意味を見出し、目的意識を持っている人は、「ほんとうの目標」がない人に比べて、その後の5年間で亡くなる確率が約半分だったという。

別の研究では、目的意識を持つことが、アルツハイマー型認知症のダメージから脳を守るのに役立つことが示唆されている。

〜引用ここまで〜

これを読んで、改めて人間がただの「動物」なのではなくて「魂」がその「身体」を支配していることを改めて認識した。このあたりの国の人たちが日本などに比べてあっという間に年を取り早死にしていく理由もここにあるのではないかとも思った。

本当の人生の目的ってなんなんだろう、と改めて思う。人に理解されない、一笑に付されるほどの壮大な目的を持っていてもその目的のためなら長生きできるのだろうか。その目的を達成したときに一緒に喜んでくれる人がいなくて長生きする意味があるのだろうか。

なんてことも考えてしまう。

人生の本当の目的とは人それぞれだろう。目的が本当かどうかということよりもそれを自分のコンテクストで理解をし、励まし、支えてくれる人がいなかったら目的なんて果たせるのだろうか、とも思う。深い理解をしてくれる人がいなかったら、その日常ほど孤独なものはない。

目的が壮大であればあるほど、毎日の暮らしからはかけ離れたものなのだから。

そうすると目的に日常が押しつぶされたり、目的が日常に押しつぶされるということだってあるのじゃないかとも思う。

どれだけ心を強くしていれば、壮大な目的を持ち続けて日常を過ごしていくことができるのだろう。
それでも長生きする意味がどこにあるのだろう。

でももしかするとそんな大層なことでもないのかもしれない。
美しい魂を持つ人はそんなこと一生懸命「意味付け」や「価値付け」しなくても軽々にやってしまって、にっこりしながらその生涯を終える、それぐらいのことなのかもしれない。

ほかの「動物」とは違い魂を持ち、大きな目的を果たそうと奮闘する人間が日常や孤独に押しつぶされないという保証はない。だけれど、それこそが「カミサマノイウトオリ」に示される道をただひたすらに一歩ずつ歩くことが結果「壮大な目的」を持ち続けたこととなるのであれば、そんなに悲壮なことでもないような気もする。

すべてを自分に帰結せず、存在するかどうかわからない何かに成り行きを任せるというのも「本当の目的と長生き」の関わりと同じように「遥かなるもの」に標準を置くことで長い道のりを歩くという意味では近しいのかもしれないと思うに至った。

人間の耐性とある決意

2014-01-20 16.26.21

エスキモーの人だったかなぁ、ずっと首を絞められているとそれになれちゃうんだって言う話を聞いたことがある。(どうして首しめるんだったかは記憶にないんだけれど、大阪の「みんぱく」で見たビデオで聞いたんだと思う。あまりにも衝撃的だったからずっと覚えている)

首を絞めるという具体的に肉体に及ぼされる行為であっても、精神に及ぼされる行為であっても人間はその目的や理由を納得さえすればそれに順応して耐えられるように変化していくんだということをそのときに何となく理解したような気がする。

それは「ありうべき姿」だとか「希望的観測」とかなんでもいいんだろうとも思う。私がずっとこの国で求めてきたものだって実はそうだったのかもしれない。それがあったからこそ、自分の心が壊れそうな出来事があっても、そこにすら「希望的観測」と言うよりは一歩はなれると「無理矢理良い方に転換する」または「諦観」というこの国にいるとうまく使わないとやっていけないこの仏教思想を手だてとしてエクスキューズをしてきたのだろうと思う。

エクスキューズをし続けて、何を得て何が変わったのだろうか。私はずいぶん忍耐強くなったし、相手の思いを汲み取り、理解するということにかけては本当に高い能力を持つことになったと思う。じゃぁ、それに応じて環境は変わったのかというとそうでもないというのが結論だ。理解を示すことが相互の関係を良くしていくのではなくむしろ、相手にマウンティングされる、助長されるチャンスを与えるだけのものだと。

論より証拠、この国では「誰かからお金をもらった側」と「もらえなかった側」が争いを続ける。彼らはお互いの手の内を良く知っているから相手にマウンティングされるようなチャンスは与えない。ただひたすらにそのグループの人たちが思う「ありうべき姿」を追求して、首を絞めあうだけのことなのである。

これはもう「ネバーエンディングストーリー」終わりのない物語、と呼ぶにふさわしい、いろんなことに耐性のない彼らが実はこんなところで強力な耐性を発揮するのはなかなか皮肉だなと思いますが。

この物語に気がついた時点でもう麻酔は切れちゃうんですよね。シンデレラが舞踏会で夢見心地に王子様とダンスをしていたのと同じ感じ。本当はぼろぼろの洋服でいたのにねって。首を絞められていたら苦しい。裏切られたら心が痛い。人間が普通に暮らしていると普通に感じる感覚が心身によみがえってくる。

あたりまえのことなんだけれど「こんなに痛かったの?」「こんなに苦しいこと今までしていたの?」

何やってたんだ?と思う。

ある場所で出会うべくして新しい友人ができた時、彼はここに希望と夢と将来をかけていたと思う。その彼に私を含めて数人の新しい友人達が出会って一斉に同じ見解を彼に話したという。その友人達も皆10年以上のキャリアの持ち主だそうで。

ほぼ一年かけて彼は友人や私の意図するところをあっという間に汲み取り、一年前とは全く違う彼らしい方向性を見つけたことを話してくれた。

「思考」する人間にとって、その流れを抑制されて同じ結論にだけいつもたどり着くようにするなんて言うのは本当に苦しいことで。そしてそれが世界のマジョリティーでもなんでもないし、自分にとって「正しい」と思えることでもないのであればその苦しさを許容してまで自分の思考や行動を抑制することには何の意味もない。

自分の思考が抑制されない、ドラッグのような、自分が正しいと思えない誰かの「ありうべき姿」や「希望的観測」で惑わされもしない場所だってあるはずだ。

ありのままでいくという決意。安い酒のように酔いきれない美辞麗句はいらない。

無欲に生きる

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人間なんて欲望の固まりで、欲=欠けていると思うもの、足りないと感じているものをさらに補いたいという気持ちがあってこそ社会生活も日常生活も「より良いもの」として成長が期待される。

17歳で「欲」というものが自分を苦しめる、「自我」というものが衝突を生むのだから、限りなく小さくした方がいいと得心した私は、「ありうべき姿」を「無欲と無我」に無意識に求めていたのであろうと思う。

求めながら足が止まる。「欲」がないと何も進まないのだ。欲することからすべての行動が起因するのだから当然のこと。「無欲」では生きられないなら最小限度に自分の成長のためだけに欲をもとうと決めた。

いろんな不必要な「欲」だと自分が感じるものや魂が自由になるものを拒絶してきたのかもしれない。

それは結果的に若いときに広げるべき見聞だとか、同じ世代の友人たちのような経験を積むことからも自分を遠ざけていたかもしれない。

そう考えると、あの頃に自分が「宇宙人」とアルバイト先で呼ばれるほど周りとかけ離れていたことも今ならよくわかる。あの頃は全くわからなかったけれど。

「無欲と無我」を追求しながら社会生活を送るのは苦痛でしかない。と気がついたのは大学生活も後半に至った頃だったと思う。

それを手放す選択をしても、そうかんたんに長らくこびりついた「ありうべき姿」が簡単に姿を消すはずもなく、精神の求めるストイックさと自分の生き方にずいぶん長くそれからも葛藤をしていたなぁと思う。

それから何年もかけて、私は周りの人が楽しいと思うことや面白いと思うことに時間をかけて理解して馴染んだと思っていた。その中に自分の楽しさも面白さも見つけられたと思っていた。

だけれど、それは結果的に私に合うものではなかったのだろうと思う。自分がいかに生きるか、どうして孤独を感じるのか、愛とはなんなのか、人はなぜ争うのか、憎むのか、正しく生きるためにはどうしたらいいのか考え続けていた私の何かが悲鳴を上げたのだと思う。

そんな経緯を経て、今ここにいる私。(悲鳴を上げて何かが壊れてから今に至る話はまたの機会に)
願わくば、無欲の意味を取り違えて自分の可能性や見識をずいぶん狭めてしまったから、これからそれをどんどんと広げていけたらと思っている。何にもとらわれず、先入観も偏見もなく。

結局、私は自分がよい人間、神様の良い器になりたいだけなのだけれど。
無欲と無我は結局「カミサマノイウトオリ」ということでもあるのだから、巡り会った環境と関係に身を任せて尽くすこと。これに尽きる。

これが若い頃の私が求めたのとはまた違う「無欲と無我」の境地ではないかと思う。

哲学科研究室のゼミ室に差し込む夕日

2014-04-29 18.44.58

大学2年の終わりの頃だったろうか。

自分の興味関心に大学の授業があまりにもの足りないでいる私を危惧した指導教官が、「この人に会いにいってご覧」といって会わせてもらったのが、私の大学から山を二つ越えたところにある大きな総合大学の哲学科の博士課程の人だった。

緊張した面持ちで一回りも年上の高野山の研究をしている彼と面会をした。年よりもずっと若く見える彼は私の話をひとしきり聞いたあと、「じゃぁ、K先生の授業でてみたら、それがいいわぁ。私から先生にお願いして改めて連絡しますから」と彼の故郷の茨城弁なまりでいってくれた。

おそらく、外国の宗教ばかり勉強していた私に国内のこともやっておいた方がいいという指導教官の配慮で私はとある大学の大学院の哲学科のゼミに出席することになった。

K先生は当時は東京大学の教授でこの大学には非常勤で教えにきていらして、数年めだったように記憶している。最寄り駅からバスに揺られて、たくさんある学部ごとの建物にくらくらしながら文学部の哲学科にようやくたどり着いて。

6階か8階に学科の事務室みたいなところがあって、そこにおそるおそる入っていった。ほかの大学のましてや学部生だからいいのか?って気持ちで緊張しながらおずおずとその奥にあるゼミ室に入った。

そこはおそらく多くの人が「研究室」って言うと思い起こす、天井までいっぱいの古い本とその古い本が醸し出す埃っぽいかんじとと甘い匂い。積み上げられた本で薄暗い室内に小さめの窓。

K先生は笑顔でひとしきりの経緯は聞いたこと、私の自宅近くにある大学に数年勤めていたことなどを話した上で、快くゼミに参加させてくださった。

その当時、ゼミでは鎌倉仏教の思想を研究していて、叡尊というお坊さんの書いたものを読みながら当時の思想を調べて発表していた。もちろん「ごまめ」なのだけれど、学外でかつ門外漢の私にとっては刺激的な場所だった。「学問ってこういう風に生まれるんだ」みたいな雰囲気を先生とほかの院生の人の議論でずいぶん味わうことができた。

「ごまめ」なんだけれど、一年に一度ぐらいはK先生から「こんちゃん、たまには、やってみる?」と言われて発表する機会をもらったけれど、緊張しすぎて何をどう発表したかすら記憶にない。K先生は当時既に著名で素晴らしい業績もお持ちでしたが、それに加えて素晴らしいお人柄で、いつも明るく、いろんなことをすべてお見通し、という先生だったので私も3年間もこのゼミにお邪魔できたのだろうと思う。

学期末の懇親会は先生の発案で「ごまめ」の私がちょっと変わった海外のお料理を出すお店を探して幹事をするのがお決まりで。

自分の大学の同級生とよりは少し年齢が離れたお兄さんお姉さんであるこのゼミの先輩にも先生にも本当にかわいがってもらって、居心地のいい、学問って楽しいなぁと思えるのんびりした時間をいつもいただいていた。

夕方、夕日が小さな窓からさしてくるのをかんじながら、数百年前の人の思いを汲み取る時間。
それを古びた多くの本が見守っている。

本を多く読む人というのは、見てすぐわかる。姿勢やスタイルがもうそこにあるから。
集中して先生や先輩が本を読む姿が似合う空間。思索の引き出しを引き出せるような空気。そしてなによりも、静寂。

私の行った大学は新しくて、研究室も何もかも無機質だったから、この大きな歴史のある大学で知が重ねられていくのを感じられたことは何よりも幸せだったと思うし、そのあとの人生にもひとしきり影響を与えたのではないか、と思っている。